2013.7.10 |
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淡々と過ぎていくこと
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小林正観氏の心に響く言葉より…
何も起きないこと。
ただ淡々とした日々が、淡々と過ぎていくこと。
何事も特別なことが起きず…くじが当たることもなく、海外旅行が当たることもなく、もちろん交通事故も起きず、大きな病気もせずに…ただ普通の日々が普通に過ぎていくこと。
それが淡々と毎日毎日、何百日と過ぎていくこと。
これが実は「幸せ」の本質・究極の姿であるということが分かりました。
「幸せ」とは、求めて求めて何かを手に入れることではなく、今、目の前に存在する現象について、「私」が「幸せだ」と思うこと、そこに尽きるのです。
よく講演会などで、私が「夢も希望もない生活をしているんです」と話すと皆さんはどっとお笑いになります。
私自身の生活では、週の休みなし、月の休みなし、年の休みなし。
酒もやらずタバコもやらず、パチンコ、マージャン、ゴルフ、テニスなどもやりません。
「何が楽しくて生きているんですか」と聞かれるのですが、「呼吸しているだけで楽しい」と答えると、けげんな顔をされます。
「呼吸しているだけで楽しい、と言う気持ちが分からない」というのです。
「では、呼吸しているだけで楽しく幸せ、という気持ちを分からせてあげましょう」と、次のようにお話しします。
「では皆さん、呼吸を止めてみてください。苦しいですから」
それはそうでしょう。
呼吸を止めたら苦しい。
「ほら、呼吸をしているだけで幸せ、というのが分かったでしょう」
息を止めてみるだけで、苦しいのです。
呼吸ができていることだけで幸せ。
そこに気が付かないだけです。
私たちはいつも、素晴らしい「幸せ」に囲まれている。
それに気が付けば、「幸せ」の海の中に生きていることが分かるのです。
『幸せの宇宙構造』弘園社
私たちは、何かハッピーなことが起きれば起きるほど幸せだと思ってしまう。
志望校に合格、病気やケガが治った、結婚した、売上や利益が増えた…
しかし、それは逆に言うと、ハッピーなことがなければ不幸せだということになる。
多くの人は、波乱万丈のドラマや物語を好むが、それはドラマだから面白いだけのこと。
本当に幸せな人は、手が動く、足が動く、呼吸ができる、という当たり前の幸せに感謝し、それに気づく人。
もっと言うなら、ケガや病気になっても、この程度ですんでよかったと感謝でき、それに幸せを感じることができる人。
淡々とした毎日に感謝し、その幸せをかみしめたい。 |
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