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2013.6.1

本当に幸運だった

スティーブ・ジョブズ氏の心に響く言葉より…

スティーブ・ジョブズは、カリフォルニア州サンフランシスコに生まれて数週間で、同じサンフランシスコに住むポール・ジョブズとクララ・ジョブズ夫妻の養子となった。

ポールは高校中退だが、ジョブズの目には押し出しのいい、とにかくすごい父親として映った。

大恐慌時代に青年期を迎え、中西部を転々とし、第2次大戦中は沿岸警備隊でパットン将軍の指揮下で働く。

ただ、何かとトラブルに巻き込まれてしまうタイプで、軍に残ることはできなかった。

ポールは手先が器用で、沿岸警備隊時代に機関室で技術も身に付け、腕のいい機械工としてよく働いた。

趣味は機械いじりで、ポンコツ車を買っては修理し、走れるようにして売っては次の車を買って小銭を稼いでいた。

自宅ガレージには専用の作業台が置いてあり、ジョブズが6歳になった頃、ポールはその一部を譲って「ステーブ、今からここがお前の場所だ」と言った。

それから小ぶりの金槌(かなづち)やノコギリを渡すと、使い方をこまかく具体的に教えた。

親子はここでよく一緒に機械を組み立てては分解した。

「本当にためになった」とジョブズは言う。

しかし、ポールから受け継いだのは機械いじりの能力より、商売のやりとりだったようだ。

ポールは、ポンコツ車の修理もうまかったが、それを売買する商売はもっとうまかった。

稼いだ小銭がジョブズの大学進学の費用になるほどだった。

ジョブズも交渉の仕方や値切り方、捨てられた車の所有者を推理する能力などを身につけていく。

「本当に幸運だった」

ポールを父親として持てたことを、ジョブズはそう語っている。

血はつながっていないとはいえ、ジョブズにとって、育ててくれたポールとクララは、亡くなった今も最愛の人たちだ。

ジョブズの前で「養父母」という言葉は禁句で、うっかり口にして何人ものジャーナリストがたたき出された。

「二人とも私の親だ」

そうジョブズは言う。

『スティーブ・ジョブズ 神の遺言』経済界新書


ジョブズの生い立ちは複雑だ。

実の父はシリア人だが、米国ウィスコンシン大学の大学院生だった時に、同級生だった米国人との間にできた子どもがジョブズだった。

誕生以前からその赤ん坊は養子に出す事が決められていたという。

子どもの頃はかなり貧乏だったが、21歳でアップルを創業し、25歳で上場し巨万の富を得た。

しかし、結局業績不振から30歳の時に会社から追放された。

42歳で、倒産寸前の会社に舞い戻り、劇的なやり方でアップルを建て直した。

自ら望んで波乱万丈で辛く厳しい人生を歩みたいと思う人など、この世にはあまりいない。

しかし、多くの成功者は、過酷な条件をバネにして生きてきた人が多いのも事実だ。

ジョブズは、養子であったこと、貧乏であった境遇が「本当に幸運だった」と言っている。

松下幸之助翁が、「貧乏、病弱、無学歴」のお陰で成功した、と言うのと同じだ。

自らの過去の厳しい生い立ちや環境に感謝できたとき、人は幸せへの道を歩むことができる。



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