2013.5.9 |
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喜び方の上手な人
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木村耕一氏の心に響く言葉より…
織田信長の命で播磨から但馬一円(現在の兵庫県)を平定し、安土城へ秀吉が戦勝報告に来た時のことである。
あいにく信長は三河へ出掛けて留守だったが、格別な褒美(ほうび)が用意されていた。
信長秘蔵の茶釜であり、「乙御前ノ釜(おとごぜのかま)」という名器である。
留守番から、この茶釜を受け取った時、秀吉は、どれほど喜んだか…。
司馬遼太郎は『新史太閤記』の中に、次のように描いている。
『藤吉郎は膝をすすめて拝見し、
「やあ、わしにこの乙御前を」
と、うれしげにさけんだ。
やがてするりと立ちあがり、乙御前を小脇に抱き…ずいぶんと重かったが…右手をたかだかとあげてひとさし舞を舞った。
諸事、物よろこびのはげしい男である。
というより、ひとから好意をうけたとき、思いきってよろこぶのがこの小男の流儀であった。
「やれ、羽柴殿のおかしさよ」
と安土城の留守番たちはこの無邪気なよろこびように好意をもった』
こんな様子を留守番から報告を受けたら、信長は、膝を打ち、手をたたいて喜ぶに違いない。
「また、何かしてやろう」という気持ちが自然とわいてくる。
普段から秀吉は、うれしいことがあったら素直に表現するようにしていた。
それが周囲の人々からかわいがられ、信用される基となり、戦国乱世を生き抜く大きな力となっていったのだ。
何かをプレゼントした時、相手が、本当にうれしそうにしてくれると、こちらの心も幸せになる。
朝夕の食事でも、当たり前のように黙って食べるよりも、作ってくれた人に「おいしいね」「ありがとう」と言うと、どれだけ喜ばれるか分からない。
感謝の心を、少しでも多く、言葉や態度に表す努力をすることは、人間関係を保つうえでも大切なことである。
『思いやりのこころ』1万年堂出版
何かをプレゼントしたり、おすすめの映画や店を教えたりしたときに、思った以上に喜んでくれる人がいる。
喜び方の上手(じょうず)な人だ。
同様に、話を聴くのが上手な人は、目を真ん丸くして驚いたり、うなずいたり、メモをとったりして、表情やしぐさからも、「傾聴している」という姿勢が伝わってくる。
だから…
「喜び方の上手な人」は、感謝の言葉があるだけでなく、喜びの表情や、動作という、全身で喜ぶ姿勢を持っている。
「喜び方の上手な人」には、人から可愛(かわい)がられる「可愛げ」がある。
何をもらっても、ブスっとしている人には、人は寄り付かない。
いくつになっても、喜ぶのが上手な、可愛げのある人でありたい。 |
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