2013.4.10 |
|
雨は吉兆である
|
|
櫻井秀勲氏の心に響く言葉より…
誰でもそうですが、他人が遊んでいる日に働くのはいやなものです。
特に若いうちは、行楽地でくつろく楽しそうなカップルの姿を見ただけで、働く気が失われるほどです。
しかし、逆に考えれば、客商売は休日ほど利益が上がるわけで、他人がいやがる時間帯に働くことは、それだけ成功の可能性を高めることになるのです。
私は若い頃、講談社という出版社の基礎を築いた創業者、野間清治の伝記を読み「雨の日風の日は訪問日和(びより)」という教訓を学びました。
たしかに、そんな日にはわざわざ出かけていきたくはありません。
ましてタクシーなどない時代です。
泥だらけになってまで作家のお宅に伺いたくないでしょう。
しかし新米編集者の私は、名前だけでも覚えていただければトクとばかり、大雨の日にわざと遠方の作家を訪ねたところ、思わぬ歓待を受けたのです。
とはいえ、雨や風の日を待っていても、年にそうあるわけではありません。
そこで日曜日も使って押しかけたのですが、これも大成功でした。
ここで私は、この教訓は仕事や交渉ごとにおける運命好転の法則ではないか、と気がついたのです。
運命の女神はよく見ていてくれて、人がいやがる日に働く人間には幸運というご褒美をくれるのだ、と思うようになったのです。
これ以来、私は人がぐっすり寝ている時間に働くのを、まったく苦にしなくなったのです。
このことを知った会社の幹部は、
「櫻井は夜が強そうだし、日曜日も働くのを苦にしないようなので週刊誌をやらせよう」
と、私を創刊したばかりの『女性自身』に移し、31歳で編集長の椅子に就かせたのです。
戦国時代、九州の薩摩に島津氏という地方大名がいましたが、この当主はいざ出陣の日を決めるとなると、必ず雨の日を選びました。
「雨は吉兆である」といい、“時雨(しぐれ)軍旗”という嵐の模様を染め抜いた旗までつくったほどでした。
どの武将も大雨の日に戦うのは苦手で、家来たちの戦意もあがりません。
そこに雨は吉兆だ!
と信じている軍隊が押し寄せてくるのですから、たまりません。
攻めたほうは戦わずして勝つようなもので、これで一地方大名だった島津氏は、九州の大名となり、のちに明治維新の立役者になったのです。
『運命がわかる事典』三笠書房
恋人や仲のいい友人と待ち合わせていて、かなりの時間待たされたとき、どんな対応を取るか。
一人は、イライラしっぱなしで、相手が来たとたんその怒りが頂点に達して、相手が平身低頭して謝っているのに、怒って帰ってしまう。
別の一人は、待たされていた間も、ゆっくり本を読んだり、お茶を飲んだりして充実した時間を過ごし、謝る相手に対して「ゼンゼン大丈夫」、と全く怒らない。
雨や風のとき、あるいは日曜日や夜中に働くことをどんな風にとらえるのか、というのは「待つ時間」をどうとらえるのか、と同じだ。
雨という現象は誰にとっても同じ条件だが、その雨を憂うつと思うか、恵みの雨と考えるかは、人それぞれだ。
世の中の事象は全て自分の考え方ひとつ。
「雨は吉兆である」
人が嫌がることを苦にしない人でありたい。 |
|
|