2013.3.18 |
|
許しおおす
|
|
伊勢の父、修養団の中山靖雄氏の心に響く言葉より…
私のところへ勉強に来られていた高円寺さんというご夫婦がおられました。
この高円寺さんの5歳の娘さんが突然交通事故に遭い、亡くなってしまったのです。
その時、事故を起こした人が警察にいるということを聞いて、このご夫婦はその人に会いに行かれました。
そして、どうされたかというと、このご夫婦はその事故を起こした方に向って、土下座をして、お詫びされたのです。
「こういう縁にあわせてしまってごめんなさい。
こういう縁にあう子どもを育てたのは私の因縁です。
どうぞあなたは安心して、このことを忘れて、世のため人のためになってください。
本当にごめんなさい」
このように謝られたのです。
ご夫婦には、悲しみも、許し難い思いも当然あったでしょうが、命が生まれてきた理由を本当に学びきっておられたのですね。
頭でわかっていても、実際にそんな目にあった時に、本当にそう思えるかどうかということが難しいわけです。
ご夫婦は普段からそのような生き方をしていたからこそ、その時にそいう思いが湧かされたのでしょう。
「許す」ということの大切さはみんな知っているかもしれません。
しかし、「許すこと」「許しきること」さらに、「許しおおすこと」は深さが違うのです。
この「許しおおす」という世界は、このご夫婦のようなことをいうのかなと深く感じさせられました。
その高円寺さんご夫婦が、この前会いに来てくださってこういうお話をしてくださいったのです。
「あの事故から30年経ちました。
あの子の30年の命日に娘のお墓参りに行ったのです。
お墓参りに行くと、新しいお花がお供えしてありました。
ああ、誰かがお花を取り替えてくれたのだなぁと思って、いったん帰りかけたのですが、ふともう一度お墓に寄ってみたんです。
すると、雨降りの中、娘のお墓に一生懸命拝んでいる人がいたのです。
ああ、あの人が花を替えてくれたんだなと思って、よく見てみたら、娘を轢(ひ)いた相手の方だったのです」
とおっしゃいました。
相手の方を見てびっくりした奥さんは、
「お墓参りをしてくださって、あなたもお詫びをしてくれていたのですね。
本当にありがとうございます」
と声をかけられたのだそうです。
すると、相手の方も驚かれ、
「お母さんでしたよね。
ごめんなさい」
と謝られたあと、
「ここで会えると思いませんでした。
あの後、一度たりとも事故を起こしたことを忘れたことはありませんでした。
私が悪かったのです。
本当にごめんなさい。
奥さんとご主人の愛に包まれて、俺はどんなことがあっても人を許さなければいけないだと思って生きてきました。
そして、娘さんを神様みたいに思って、毎日お詫びをして生きてきました。
お目にかかれて嬉しかったです。
ありがとうございます」
とお礼を言ってくださったそうです。
『すべては今のためにあったこと』海竜社
自分の娘を殺され、その相手を許すとは…
「許しおおす」という凄(すさ)まじいまでの許しの世界だ。
「そんなことは絶対に許さない」などと、些細なことを許さない自分は如何に小さい人間か。
許しとは逆の世界が、恨み、憎しみ、怒り、そして相手に思いしらせ、敵(かたき)をとる、という攻撃の世界だ。
許さなければ、怒りと攻撃の世界はずっと続く。
それは結局は、まわりまわって、自分の身をボロボロにしてしまう。
欧米諸国にならって、昨今はこの日本でも訴訟が多く起きている。
「許しおおす」という深い世界を、今一度かみしめてみたい。 |
|
|