2013.3.1 |
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服装への気くばり
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作家の森村誠一氏の心に響く言葉より…
最近は、ファッションなのであろうか、年配の出席者が多いパーティーにアンダーウェアのようなものを着て出席する人もいる。
服装は個性であり、自己主張だという考えもある。
もちろん、服装も芸術であり、それはそれとして尊重すべきであろう。
わたしは、服装とは「武装」だと考えている。
どんな人と会っても失礼とならない服装をすることが、武装するということである。
オフィシャルな場で、スーツを身につけた人とアンダーウェアの人が会えば、多くの場合、アンダーウェアの方がコンプレックスを覚えるはずである。
ビジネスでは、だいたいゆるい服装のほうが負ける。
相手の服装を見て自分の服装に引け目を感じると、それだけで劣位に立ってしまう。
服装は、自分が相手をどれだけ尊重しているかということを反映する。
「あんな人はどうでもいい」のであれば、パジャマで応対しても構わない。
どんなに服装に無頓着でいい加減な人間でも、天皇陛下に拝謁を許されたら、その格好では絶対に行かない。
スーツを着て、ネクタイをしていればだいたいのケースでは十分であり、サラリーマンはその格好をしている。
どんな人と会っても互角に勝負できる。
ビジネスの場では、華美ではないが失礼ではないというのが、服装への気くばり。
この気くばりは礼儀でもある。
『男の気くばり』KKベストセラーズ
一流レストランのスタッフが以前、こう言っていた。
「お客様が気合を入れた服装で来てくださったときには、こちらも気合が入ります」
女性が着物などで来れば、それがどれだけ価値のあることか分かる。
誰かと会ったとき、敬意を払ってくれているかどうか分かるのは、まずは服装だ。
会社に、初めて会いに来た人がジャージのような服だったら、「軽く見られている」と思ってしまう。
伊勢神宮の正式参拝をするときは、男性なら礼装、もしくはそれに代わるネクタイとスーツ、女性もそれに順ずる服装が求められる。
どんなに有名デザイナーの高価な服であろうと、カジュアルだったらそれは認められない。
相手を大切に思うなら、服装はとても大事だ。 |
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