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2013.2.23

風に任せ、縁に任せて生きる

竹村牧男氏の心に響く言葉より…

今日、良寛を慕(した)う人々は、とても多い。

良寛のその清純な、しかも自由にして滞ることのない心の根本には、無一物(むいちもつ)の境涯があるのだろうと思われる。

古来、禅の世界では、「本来無一物」と示してきた。

あるいはまた、「無一物中 無尽蔵(むじんぞう) 花有(あ)り 月有り 楼台(ろうだい)有り」とも言われる。

自分の持ち物というものがなければ、すべてが自分だ、というわけである。

良寛は、物だけでなく、地位も名誉も、そもそも自分自身をも、自分の持ち物にはしなかった。

物であれ心であれ、執着することをまったく捨てはて、手放していたのである。

では、なぜ良寛があれほど見事に無一物に徹し得たのかといえば、その背景に若き日の厳しく徹底した禅の修業があったからであろう。

その修行は、我々の想像を絶するほどに苦難を極めたものであったと思われる。

十数年の修行ののちには、日本中を行脚(あんぎゃ)して、諸国の禅匠を訪ね、問答を重ねてさらに心境を練った。

あの、温和・無垢の境地は、その禅修業のはての世界だったのである。

托鉢(たくはつ)をして食べ物を得、草庵に住む暮らしは、物質的にはとても貧しい。

しかし、生きていくために最低限の米と薪さえあればそれで十分だと良寛は言う。

「任運騰騰(にんうんとうとう)」という禅の言葉がある。

「任運」とは、風に任せ、縁に任せて生きるという意味で、自我を捨て去りあるがままを受け入れて生きる、ということ。

「騰騰」とは、何ものにもとらわれず自由に意気高く生きることだ。

禅の師匠である国仙和尚は、良寛をこう評した。

「良寛はまるで愚(ぐ)のようだが、その悟りはいよいよひろやかである。

任運騰騰と生きるその境涯を誰がのぞき得よう」

『いま、生きる良寛の言葉』青春出版社


良寛禅師の辞世の句と言われている歌が三つある。

「うらを見せ おもてを見せて 散るもみぢ」

「散(ちる)桜 残る桜も 散る桜」

「形見(かたみ)とて 何(なに)残すらむ 春は花 夏ほととぎす 秋はもみじ葉(ば)」

我(が)をはる人は、風に任せ、縁に任せて、飄々(ひょうひょう)と生きることはできない。

我とは、人からよく見られたいとか、自分さえよければいいという、自己中心的なエゴのこと。

物欲、色欲、金銭欲、名誉欲という我欲のうずまく現代。

任運騰騰と生きた良寛禅師の生き方は魅力的だ。



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