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2013.2.19

日本人としての精神

齋藤孝氏の心に響く言葉より…

江戸時代、とりわけ19世紀に教育熱が盛り上がり、全国の寺子屋で『論語』の素読を軸とした教育が行われた。

まず師が音読し、筆子(ふでこ・生徒)が復唱するという学習法が一般的であった。

この江戸時代の教育力は、世界史的に見てもすばらしいものであった。

ところが明治以降、とりわけ戦後、日本人は『論語』を幼いころから素読する習慣をなくした。

『論語』を柱とした儒教精神全体を捨てたことは、精神の半分以上を捨てたことを意味する。

さらに、武道のように古来から精神形成に一定の役割を果たしてきたものも禁じられた。

その結果、個人の感情や気分が一気に肥大化することになったのである。

共有できる精神を持たない民族は弱い。

それが露わになったのが、経済成長が一段落ついた1970年以降だ。

戦後間もなくまでは、武道の弾圧や儒教の衰退という事態に直面しつつも、戦後復興や経済成長、さらに東京オリンピックや大阪万国博覧会という大きな目標があったため、それがエネルギーとなって走り続けることができた。

しかも、その復興期を支えた働き盛りの30〜40歳代は、精神形成・人格形成を戦前の精神がまだ生きていた時代に終えていた。

戦後復興に貢献したのは戦後生まれではなく、戦前生まれだったのである。

戦前の教育がいかに日本人の精神を鍛えたかは、戦後復興の姿を見るだけでもわかるだろう。

しかも、その精神をつくる際には、常に身体や習慣とワンセットだった。

このあたりは、日本という国の根幹をなすものだ。

それが職人気質にも象徴される、職業に対する高い倫理観と、日々の仕事に対する真面目さをつくっていったのである。

一方今の日本人は、概しておとなしく、不安定な心を抱えている。

精神や身体といった土台が緩んで地盤沈下した分、心の部分が膨らんでしまったのである。

『日本人の心はなぜ強かったのか 精神バランス論』PHP新書


「精神」と「心」は違う、と齋藤氏は言う。

「精神」とは、会津藩の「什(じゅう)の掟」のような、「ならぬことはならぬ」という問答無用の教えだ。

「親や年長者に挨拶をする」、「卑怯なことはしてはいけない」、「弱い者いじめはしてはいけない」という教えには、「なぜそうしなければならないのか」という理屈はいらない。

そしてそこには、武道や茶道でいう、「形」や「姿勢」も同時に必要とされる。

形や姿勢は、長く鍛錬し、継続することによって身につく。

「精神」が鍛えられていない幼い子供を見ればわかるが、自分の感情のおもむくまま、喜怒哀楽を感じたままに動く。

だが、残念なことに、昨今では武道にしても、精神を鍛えるという部分がないがしろにされてきたため、一流のメダリストでさえ問題を起こしてしまうことがある。

「心の部分が膨らんでしまった」という今の日本人の状態。

今一度、日本人としての精神を取り戻したい。



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