2013.2.12 |
|
愛嬌のない人間はあきまへん
|
|
後藤清一氏の心に響く言葉より…
昭和22年、松下の2であった井植歳男さんに請われて、三洋の創業に参加したのは、私が満41歳のときだった。
現在の兵庫県加西市にある北条工場でスタートを切ったのだが、案の定、給料は遅配となった。
頭のいい、大変優秀な27,8歳の男がいたが、彼は給料の遅配にカンカンになって怒った。
「オレは、これまで給料を遅配されたことはない。
給料を遅配するようなところで働けるか!」
有能な男に辞められるのは、誠に惜しい。
しかし、決意は固く、とてもひるがえしてくれそうもない。
仕方がない、まぁ送別会でもやって送り出してやろうと、私は菓子を買ってきて、幹部も呼んだ。
ところが、肝心の当人が送別会に出てこない。
「そんなもん出るかい!
けったクソが悪い」
捨てゼリフを吐いて、そのまま辞めていった。
愛嬌もなにもないのである。
それから3,4年してから、その男が工場へ私を訪ねてきた。
見るからに落ちぶれた格好をしている。
送別会も足蹴(あしげ)にして三洋を辞めたものの、うまくいかなかったらしい。
ついては、もう一度三洋で使ってもらえなやろか… という気持のようだった。
“なんぼ能力があっても、愛嬌のない人間はあきまへん”
生前、松下幸之助さんは、よくそうおっしゃっていたものだ。
“そやから、愛嬌のある人間を見つけることが大事でんな”と。
誠に然り。
“愛嬌”は、男女を問わず、人間の大事な魅力なのだ。
『人生は気合でっせ!』明日香出版社
どんなに才能や能力があろうが、愛嬌のない人間は好かれない。
愛嬌とは、下手(したて)に出たり、人に媚(こ)びたりすることではない。
ほんとうに愛嬌がある人は、他人をなごませることができる。
誰もが怒ってしまうような場面でも、ヒョイと愛嬌で笑いを誘う。
自分のドジや失敗も笑いに変えられる。
愛嬌のある人は、憎まれることなく、多くの人に愛される。 |
|
|