2013.2.1 |
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与えられた人生を
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天台宗、酒井雄哉大阿闍梨の心に響く言葉より…
実際の年齢よりもずいぶんお若く見えますねえ、とか、お肌がきれいですね、どうしているんですか、とよく聞かれるけど、健康でいられるのは、毎日毎日同じように暮らしているのがいいんじゃないかな。
だいたい朝の3時半から4時ごろ起きて、滝に入って顔を洗って、バケツの水をずーっとお堂に配ってお清めして、本堂行ってお勤めをしている。
お客さんが来ればお相手したり、雑務などもして、夕方からお勤めして食事。
それから1、2時間ひと寝入りする。
夜の零時半くらいまで、あれこれ仕事して。
またちょっと寝て…。
それを毎日毎日繰り返し繰り返し、くるっくる、くるっくる、やってるんだよ。
食べる量は少ないかもしれないな。
一日二回、ソバや豆、野菜をちょっとずつ。
間食はしない。
あまりお腹すかないの。
お茶一杯飲めば一食したような感覚になっちゃう。
「二度の千日回峰行を経てどんな変化がありましたか」とよく聞かれるけど、変わったことは何もないんだよ。
みんなが思っているような大層なもんじゃない。
行が終わっても何も変わらず、ずーっと山の中を歩いてるしな。
「比叡山での回峰行」というものでもって、大げさに評価されちゃってるんだよ。
戦後、荻窪の駅前でラーメン屋をやっていたことがあるんだ。
今でも材料あったらチャッチャッチャッって作っちゃうよ。
今と同じですよ。
朝起きて、仕込んで、材料買いに行って、お昼にお店開けて、夜中に店閉めて、寝て、6時ごろに仕込みして。
くるくるくるくる…。
もしここに屋台あったらラーメン屋のおやじだな。
形は違うけどやってることは同じなんだよ。
人間のすることで、何が偉くて、何が偉くないということはないんじゃないかな。
仏さんから見ればみんな平等。
自分の与えられた人生を大事に、こつこつと繰り返すことが大事なのじゃないのかな。
みんなさ、背伸びしたくなるの、ねえ。
自分の力以上のことを見せようと思って、ええかっこしようとするじゃない。
だから、ちょっと足元すくわれただけでもスコーンといっちゃう。
自分の身の丈に合ったことを、毎日毎日、一生懸命やることが大事なんじゃないの。
人間から見た偉いとかすごいとかなんて、仏さんから見れば何も変わらないから。
『一日一生』アサヒ新書
酒井雄哉大阿闍梨は、1926年生まれの87歳。
太平洋戦争時、予科練へ志願し特攻隊基地で終戦を迎える。
戦後職を転々とするがうまくいかず、途中奥さんの死もあり、40歳にして仏門に入り、得度する。
約7年をかけて約4万キロを歩く「千日回峰行」を2度満行した。
なんと2度目の満行は、60歳のとき。
千日回峰行は、途中たった一日でも挫折したらその場で自害するために、首に巻く細紐と短剣を持ち歩く荒行。
2度の千日回峰行を達成した人は1000年の歴史を誇る比叡山でも3人だけで、現存する世界でただ1人の行者だ。
我々は、何か劇的なことがあるのが人生だと思ってしまう。
テレビのドラマにあるような波乱万丈の人生を夢見る。
しかし、淡々とした毎日であろうが、ドラマチックであろうが、それは天から見たらたいした違いはない。
むしろ天の仏様や神様が見ているのは、与えられた人生を、愚痴や文句を言わずに一所懸命やっているかどうか。
今生の与えられた自分の人生に感謝し、こつこつと努力したい。 |
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