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2013.1.5

会津藩の子供の教育

星亮一氏の心に響く言葉より…

会津藩の子供は6歳から勉強を始める。

午前中は近所の寺子屋で論語や大学などの素読を習い、いったん家に戻り、午後、一ヶ所に集まって、組の仲間と遊ぶのである。

一人で遊ぶことは禁止だった。

孤独な少年は皆無だった。

仲間は十人一組を意味する「什(じゅう)」と呼ばれ、年長者が什長に選ばれた。

遊びの集会場は什の家が交替で務めた。

什には掟があり、全員が集まると、そろって八つの格言を唱和した。

一、年長者の言うことを聞かなければなりませぬ。

一、年長者にお辞儀をしなければなりませぬ。

一、嘘言(うそ)をいうてはなりませぬ。

一、卑怯(ひきょう)なふるまいをしてはなりませぬ。

一、弱い者をいぢめてはなりませぬ。

一、戸外で物を食べてはなりませぬ。

一、戸外で婦人と言葉を交わしてはなりませぬ。

そして最後に、

「ならぬことはならぬものです」

と唱和した。

遊びの什は各家が交替で子供たちの面倒をみたが、菓子や果物などの間食を与えることはなかった。

夏ならば水、冬はお湯と決まっていて、そのほかは一切、出さなかった。

唱和が終わると、外に出て汗だくになって遊んだ。

普通の子供と特にかわりはなく、駆けっこ、鬼ごっこ、相撲、雪合戦、氷すべり、樽ころがし、なんでもあった。

このようにして六歳から八歳までの子供が二年間、什で学びかつ遊ぶことで、仲間意識が芽生え、年長者への配慮、年下の子供に対する気配りも身についた。

当然、子供の間には喧嘩や口論、掟を破ることも多々あった。

その場合、罰則が課せられたが、罰則はたとえ門閥の子供でも平等で、家老の嫡男であろうが、十石二人扶持の次三男であっても権利は同じだった。

門閥の子供はここで仲間の大事さに目覚め、門閥以外の子供は無批判で上士に盲従する卑屈な根性を改めることができた。

「ならぬことはならぬ」

という短い言葉は、身分や上下関係を超えた深い意味が存在した。

会津の子供たちは、こうして秩序を学び、武士道の習練を積んでいった。

教育がいかに大事かよくわかる。

それをいかに手間隙かけて、大人たちが行なっていたかである。

家庭教育と学校、そして地域社会が一体となって教育に当たった。

『会津武士道 「ならぬことはならぬ」の教え』青春出版社


子どもの教育は大事だ。

何年か先の国家の勢いや品格が決まってしまう。

「規律」、「我慢」、「気骨」、「気配り」、「敬う」、「恥(はじ)」、「卑怯(ひきょう)」といった徳目は、「ならぬことはならぬ」という子どもの頃からの教育から生まれる。

両親や年長者を「敬う」、ということは、幼少の頃からの「挨拶」や「礼儀」や「躾(しつけ)」より生まれる。

そのことは、家族を愛し、地域や学校や会社などを愛し、国を愛するという大事な徳目にも通じる。

昨今は、我慢できない子供や大人も多いが、これも豊かさゆえの反動。

子どもの頃なんでも与えることによって甘やかし、我慢の教育が足りなかったからだ。

武士の行動基準は、「恥」という一語に帰結する。

しかし、「恥」という言葉が家庭で言われなくなって久しい。

恥とは、「卑怯者」であるとか「腰抜け」ということ。

名前を名乗らないというのも卑怯の最たるものだった。

陰湿なイジメなどは、もっとも恥ずべき卑怯者のすること。

「ならぬものはならぬ」という教育が今一度必要とされている。




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