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2012.12.3

間抜けの構造


ビートたけし氏の心に響く言葉より…

間抜けなやつ、というのは、いつの時代にもどこの世界にもいる。

でも、間抜けには愛嬌というか、どこか憎めないところもある。

本人はいたって真面目な場合が多くて、笑わせてやろうとか受けを狙おうみたいな作為はあまり感じられない。

本人が真面目であればあるほど、傍から見ていると間抜けに映るわけで、そこになんとも言えないおかしさがある。

辞書を引くまでもなく、間抜けというのは「“間(ま)”の悪いやつ」のこと。

特においらのような芸人にとって、“間”というものは死活的に重要で、逃れることができないもの。

漫才でもコントでもテレビのフリートークでも“間”を外したら一発で台無し。

だから、今さら大声で言うことではないかもしれないけど、“間”を制するものはお笑いを制する、とっても過言ではない。

お笑いだけじゃない。

映画や絵画や音楽といった芸術、野球やサッカーや相撲といったスポーツ、踊りや茶道といった芸事、そして人生にいたるまで、あらゆるジャンルにおいて、“間”というものは、決定的に重要なものだ。

考えてみれば、日本人は、「床の間」や「茶の間」といった空間に馴染(なじ)んできたし、「間に合う」「間尺に合わない」という慣用句もあるくらいだから“間”というものを大事にしてきた民族だと思う。

どうやったら“間”というものをコントロールできるのか、人生においていかに“間”を活かすか。

“間”もへったくれもない、こんなギスギスした時代だからこそ、それは結構重要なことだと思っている。

『間抜けの構造』新潮新書


歌舞伎や落語などで、一瞬の“間”があると余韻が残る。

絵画や庭などでも、何もない空間があることにより、そこにかえって広がりや余韻を感じさせる。

“間”の取り方の上手な人は、待つことのできる人。

ヘタな人は、人のことを考えずに、一方的に話をしたり、ひとりよがりに自分だけ楽しんでしまう。

“間”を知る人は、粋で余韻がある。



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