2012.10.25 |
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江ノ電の運転手
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中山和義氏の心に響く言葉より…
「江ノ電の運転手になりたいという病気の子どもの夢を叶えてもらえないでしょうか?」
ある日、こんな手紙が江ノ電の会社に届きました。
難病と戦う子どもたちの夢を叶えることを支援している団体「メイク・ア・ウィッシュ」からの手紙でした。
その手紙に書かれていた子どもは「拡張型心筋症」という先天性の難病で入院していた16歳の新田明宏君でした。
「江ノ電を運転したい」と男の子が強く思うようになったのには、理由があります。
幼い頃から病気のために、運動が思いきってできない男の子を癒してくれたのが電車でした。
お母さんが「外で遊べない息子のために」と思って買ってくれた電車のおもちゃが大好きでした。
お父さんもそんな男の子を、休日のたびに電車に乗せてあげていました。
電車の中でも、ゆっくりと街中を走る江ノ電が特にお気に入りでした。
中学生の頃になると男の子の電車への思いは、ますます強くなります。
ところが、男の子が15歳の時、病状が悪化します。
入院した男の子は、大好きな鉄道にも乗れなくなってしまいました。
それどころか、男の子の病状は、もはや治療する方法がない状態でした。
病院の先生はベッドの上でも時刻表を離さない男の子を見て、
「もう、この子を助ける方法はない。
こんなに鉄道が好きで、運転手になりたいと心から思っているこの子の夢を、何とか叶えてあげたい」
と思い、メイク・ア・ウィッシュに連絡しました。
運転の当日、この日は11月にしてはとても暖かい日でした。
救急車で藤沢駅に到着した男の子が、運転手の制服に着替え、付き添われながら運転席に座ると、江ノ電がゆっくりと駅を出発しました。
普段は無人の駅もありましたが、この日はすべての駅に駅員が待機して、運転席にいる男の子に直立不動で敬礼しました。
またスタッフは運転免許を持たない男の子に、運転席に座るだけではなくて、何とか本当に電車を運転してほしいと強く思っていました。
スタッフが用意した免許を必要としない検車区間に電車が進むと、男の子はレバーを握り、自分の力だけで電車を動かしました。
その間、男の子は病気だとは思えないような笑顔で、目を輝かせながら電車を運転していました。
その3日後、夢を叶えた男の子は遠くに旅立ちます。
その後、男の子の話は「小さな運転手 最後の夢」というドラマになってテレビに放映されました。
江ノ電の本社には、男の子が描いた絵が飾られています。
自分が江ノ電を運転しているところを描いたものです。
江ノ電を愛してくれた男の子がいたことを、社員全員が忘れないために掛けられています。
『涙を幸せに変える 24の物語』フォレスト出版
多くの大人は、知らず知らずのうちに、子どもたちの夢をつぶしている。
子どもが、「宇宙飛行士になりたい」「野球の選手になりたい」と夢を語ると、「そんな夢見たいなことばかり言ってないで、さっさと勉強しなさい」と。
「それは無理」、「これはダメ」、と、すぐに否定する。
だから、難病の子どもたちの夢を必死で叶えようとするメイク・ア・ウィッシュのような活動が光る。
そして、大人が真剣になればなるほど、子どもはそれに向き合ってくれる。
制服をそろえ、運転席で実際に運転させ、整列して直立不動で敬礼をする…
子どもの夢を心から応援できる大人でありたい。 |
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