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2012.9.10

下座行で傲慢心は打ち砕かれる


森信三氏の心に響く言葉より…

人間を鍛えていく土台は、一体どういうものかというに、私はそれは「下座行」というものではないかと思うのです。

たとえその人が、いかに才知才能に優れた人であっても、またどれほど人物の立派な人であっても、下座を行じた経験を持たない人ですと、どこか保証しきれない危なっかしさの付きまとうのを、免れないように思うのです。

ではここで「下座行」というのは、一体どういうことかと申しますと、自分を人よりも一段と低い位置に身を置くことです。

言い換えれば、その人の真の値打ちよりも、二、三段下がった位置に身を置いて、しかもそれが「行」と言われる以上、いわゆる落伍者というのではなくて、その地位に安んじて、わが身の修養に励むことを言うのです。

そしてそれによって、自分の傲慢心が打ち砕かれるわけです。

すなわち、身はその人の実力以下の地位にありながら、これに対して不平不満の色を人に示さず、真面目にその仕事に精励する態度を言うわけです。

そこで、たとえば世間にしばしばあるように、自分よりつまらない人間の下につかえて、なんら不安の色を見せないということなども、一種の下座行と言ってよいわけです。

たじろがない信念というものは、かつては自分と同級生であり、否、うっかりすると自分より下級生であった人の前に、頭を下げねばならぬような位置に身をおきながら、しかも従容(しょうよう)として心を動揺せしめないこの下座行の修練によってのみ得られるものだと思います。

また、下級生が、自分の上司となったりした場合、十分にその人に礼を尽くして、昔の関係などはおくびにも出すべきではないのです。

そして相手の現在の身分を立てて、相手に傷のつかないように遇するのです。

こういう心遣いというものは、単にその人の才知才覚などによってできることではありません。

否、なまじい才知は、かような場合かえって変な態度となって、醜(みにく)いものとなりやすいのです。

そこでかような態度は、どうしてもその人が、その人生コースのどこかにおいて、一度は下座の行に服して、人間が真に鍛えられられているんでなければ、とうていできがたいことと言ってよいでしょう。

『運命を創る』“「修身教授録」抄・10講” 致知出版社


「こんなに社会的地位にある人間をオレは知っている」、「コイツよりオレのほうが偉いんだ」、と皆の前で横柄に振る舞う人間はあまりに恥ずかしい。

誰もが人から認められたいし、褒めてもらいたい。

自ら「オレは偉いんだ」と主張したところで、誰も認めないし、褒めてもくれない。

かえって傲慢な態度が目立つだけとなる。

下座の修練によってのみ、傲慢心は打ち砕かれる。

下座行をもって、自らを鍛え上げたい。



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