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2012.9.4

高倉健の最敬礼

野地秩嘉氏の心に響く言葉より…

今年の春、ある上場企業の経営者と私は近所の喫茶店に入った。
彼は、しゃべり始めた。

「撮影現場にいたんです、僕は」
…大学時代、RKB毎日で木村班というのに入れられて、ADのバイトをやっていたんです。

若い頃、勉強が面白くなくて、大学をやめました。
毎日、テレビ局で働きながら、将来はどうしようかと悩んでいたわけです。

番組のロケが始まった日のことです。
「おまえ、高倉さんをホテルまで迎えに行け」と木村さんから命令されました。

えっ、と思いました。
ひとりじゃ嫌だなあ、と。
周りにお付きの人がたくさんいるだろうし、無作法をして怒られたらどうしようと…。

ホテルに行って、1階のエレベーター前で待っていたんです。
そして、ドアが開いたら、あの大スターの高倉健がたったひとりでエレベーターに乗っていたんです。

呆然としていたら、私のそばに来て、
「高倉です。
よろしくお願いします」。

直角です。
90度の角度ですよ。

あわてて、私がごにょごにょ言いながら、なんとなく頭を下げたら、高倉さんは不動の姿勢で下を向いていました。
びっくりしました。

「こういう人が本当の大人だ」と感じました。
マネージャーも付き人もいなかった。

たったひとりで博多にやってきて、ホテルもひとり。
ロケの間もひとりで立っていました。
絶対に腰を下ろさない。

何の文句も言わない。
オレたちバイトには気を配って、飲み物とか食べ物をくれる…。

衝撃でしたねえ。
世の中には立派な大人がいるんだと思った。

だって、はたちかそこらの何もわからないガキに対して、最敬礼して、ちゃんと尊重してくれる。
そんな人いないです。

バイト仲間とはあの頃、「大人になったら高倉健みたいになりたい」と話しました。
いつの日か、立派な大人になるんだ、と。

…でも、すぐにはなれなかったなあ。
虚勢を張ってました。

自分に自信がなかったから、人に頭を下げることができなかった。
でも、ある日、ふと高倉さんの最敬礼を思い出して、「一からやり直そう」と決めたんです。

それから彼は変わった。
友人の父親がやっていた会社に入った。

年下の部下にこき使われながらも、一切、文句を言わなかった。
人に会ったときには最敬礼することにした。

年下のアルバイトやパートの従業員を大切にした。
態度のデカイ取引先にカッときたことはあったけれど、高倉健の我慢を思い出して、じっと耐えた。

そのうちに働きが認められ、社長から「関係会社の経営を立て直してくれ」と命令される。
私が会ったのはちょうどその頃だった。
初対面で彼は最敬礼した。

最敬礼し、なかなか頭を上げないから、「丁寧な人だな」と感じた。
そして、10年経って、彼は会社を公開させることができた。

「高倉さんにお目にかかることは一生ないでしょう。
でもあのお辞儀を見ていなかったら、自分はこうはならなかった。
高倉さんのおかげだと思う。
だから、作品はどんなものでも全部見ます」

『高倉健インタヴューズ』プレジデント社


高倉健は、1931年生まれの81歳。
80歳を超えてもジョギングをし、声を出す訓練をやっているという。

彼は私生活についてはほとんど語らない。
「映画以外のところでどんなに熱演してみせても何の意味もない」と思っているからだ。

映画で共演した、歌手の宇崎竜童氏は高倉健のことをこう語る。

「ささいなことですけど、高倉さんはしっかりと挨拶されますね。
打ち合わせで事務所に見えたとき、部屋に入るときは『おはようございます』。
うちのペーペーの新入社員がコーヒーを出したときにも、『ありがとう』。
食事をするときも『いただきます』…。
そのときの立ち居振る舞いはすごく美しく見えます」
(同書より)

高倉健は、撮影の間中、一度も座らないと言う。
自らを厳しく律しているからだ。

大スターでありながら、決して偉ぶらないし、驕(おご)らない。
真の大人は、多くの人に大きな影響を与えることのできる人だ。



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