2012.9.2 |
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達者でポックリ
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医師の帯津良一氏の心に響く言葉より…
人間には死ぬタイミング、つまりそれぞれに「死に時」があると思うのです。
西洋医学が発達したおかげで、病気の治癒率は高まり、平均寿命は延びました。
しかしその一方で、「死に時」を逃してしまうケースが増えているのです。
年をとっても自分で歩けて、自分の面倒を見られるうちはいいのです。
たとえば夕方になったら、「ちょっと一杯やろうか」と下駄履きで、なじみの居酒屋に出かけていけるような、そういう気軽さ、自由さがあるうちは、長生きもしがいがあります。
しかし、どこに行くのも人の助けを借りて、人の世話になって、という状態になってしまったら本当に大変です。
「要介護」、「寝たきり」は多くの場合、本人もまわりもつらく苦しいものです。
まわりに迷惑をかける「長生き」をするぐらいなら、死に時をうまくつかまえて、さっさとあちら側に行ったほうがいいと私は思うのです。
長く患(わずら)わず、人になるべく迷惑をかけないように、楽しく生きて最後はさっと行く。
つまり「達者でポックリ」です。
この、ほどよいところでポックリいくことこそが「究極の健康法」だと思うのです。
「達者でポックリ」いくためには二つの大事な要素があります。
ひとつは常日頃からの心構えを持ち、自分の死のタイミングを見極める精神性を持つことです。
そしてもうひとつ大事なのは、日ごろからの「養生」です。
日々、「生命」のエネルギーを高め、最後を迎えるまで自立してすごすことが達者でポックリのためには欠かせない条件です。
養生には「食の養生」「気の養生」「心の養生」の三つがあります。
食の養生は食物を通して大地のエネルギーを内なる生命場に取り込んで、生命のエネルギーを高めることです。
気の養生は、「調身、調息、調心」、すなわち、姿勢を整え、呼吸を整え、心を整えるということです。
心の養生は、心のエネルギーを高めること、つまり、毎日の生活の中で、希望を抱き、「心をときめかせる」ということです。
『達者でポックリ』東洋経済新報社
普段、死について語ることは、できればしたくない微妙な話題だ。
だが、どんな人間でも、この世に生まれてきたら、必ず決まっていることが一つある。
それが、生まれたら必ず死ぬ、という定めだ。
宋の朱新仲(しゅしんちゅう)は、人生には「五計」ありと言った。
「五計」とは、「生計」・「身計」・「家計」・「老計」・「死計」の五つだ。
「どのように健康で生きるか」、「どんな仕事をして社会に貢献するか」、「どのように一家をかまえ生活していくか」、「どのように老いてゆくか、老後の生活は」の四つについては、計画を立てる人は多いが、一番後回しにされがちなのがこの「死計」だ。
「死計」とは、どのような死に方をするのか、死後に何を残すかという計画。
平和な現代にあっては、若い世代は死など意識することはないが、戦乱の世にあっては、死は身近なものだった。
「達者でポックリ」
常日頃から、「死計」について考えることは必要だ。 |
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