2012.8.20 |
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無我夢中になれ
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本田有明氏の心に響く言葉より…
「中庸は人間にとって究極の境地だろうが、武道においては当てはまらない。
常日頃から人を乗り越えた気持になっていることが肝心だ」
(葉隠・聞書)山本常朝
死にもの狂いの生き方を説いた常朝が、中庸をよしとするわけはない。
臆病を克服して無謀にゆけ、放縦を否定して禁欲せよ。
心の持ち方として、常朝はいつも旗幟鮮明である。
中道や中庸そのものが悪いわけではない。
ただ、どちらにも偏らない中立的な立場を志向しているかぎり、物事に徹することはできない。
そうした人間の心理に、常朝は深く精通していた。
死にもの狂いになってはじめて、命がけの奉公ができる。
だから内に狂気を秘めて生きよと繰り返し語ったのだ。
NHKの元アナウンサー鈴木健二氏が書いた『男は20代に何をすべきか』(新潮文庫)の一節に、「遊ぶな、働け」という強烈なメッセージがあった。
遊ぶときは大いに遊び、働くときはしっかり働こうというのが一般的な説教だが、鈴木氏はそうではない。
遊びも仕事も、などと考えていてはロクな仕事ができない。
かけだしの若者はひたすら働け。
無我夢中になってはじめて一人前の仕事師に成長することができると述べた。
『ヘタな人生論より 葉隠』河出書房新社
「葉隠」は、江戸時代に、佐賀鍋島藩の山本常朝が武士の心得について語った書物だ。
「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」の一節が有名だ。
これは、死を美化したりすすめている訳ではなく、死の瞬間まで、この今を、死にもの狂いで一所懸命に生きる姿勢を説いたものだ。
これは、「やがて死ぬ けしきは見えず 蝉の声」という芭蕉の句とも似ている。
蝉は、約7年近くも地中にいて、地上に出てわずか1週間ほどの命。
明日死ぬかもしれないのに、その気配も見せずに、死の直前まで鳴き続ける蝉。
どんな時代でも、わき目も振らず一途(いちず)に生きている人は美しい。
ここぞという時は、一心不乱、無我夢中で生きてみたい。 |
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