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2012.7.30

僕が芝刈りに行くよ

城山三郎氏の心に響く言葉より…

「財界総理」と呼ばれた土光敏夫さんには、経団連会長を辞める直前に、神奈川県の鶴見のご自宅に伺ったことがあります。

まず驚かされるのが、玄関の扉がたてつけが悪いのか何か物でも置いてあったのか、私がいくらガタガタやっても開かない。

すると、土光さんの呼ぶ声が庭の方から聞こえてきて、縁側から上がることになりました。
せいぜい良く言って質素な家ですが、郊外にある古い家だけあり、庭は広い。

でも、池や石なんてないんですね。
植木と芝生と野菜畑があるだけ。

植木と言っても雑然たるもので、それもその筈、土光さん自身が手ずから植えて、手入れをしているものです。

畑も自分で耕している。

夫人との生活費を月10万円だけ残して、あとの収入は全て、自宅に隣接するお母さんが作った女子校へ寄付されている。

だから玄関も直せないし、ガラスが割れても直せない。

健康法はゴルフでも何でもなく、木刀を振り回しながら庭を駆けめぐるだけ。
実際にやっているところを見せて貰いましたが、まあ異様と言えば異様な光景。

隣の女子校に泥棒が入った時は、木刀を持って泊り込みに行ったそうです。
これは何とも清々(すがすが)しい生活で、私は感動しました。

芝生もご自分で刈っているというので、わが家にも芝生があるものですから、つい、
「あれはマメにやらないといけないんで、大変ですよね。
うちなんかもよく人を頼んで…」

そう口を滑らせると、
「お、城山さんちには、植木屋を頼むほどの庭があるの?」

「いえ、広くはないんですよ。
ただ私は草一本抜かないものですから」

「あ、それなら、僕が芝刈りに行くよ。
会長辞めたら、暇になるんだし。
もし城山さんちが広すぎて、僕の手にあまるというなら、友達も誘って行くから。
頂いた日当は女子校に寄付します」
と身を乗り出して、目を光らせるんです。

冗談なんか言う人じゃありませんからね、
「いや、本当に狭くて、わざわざご足労願うほどの庭でも」と慌てて断ったものでした。

経団連会長を辞めた後、国民的人気のある土光さんは臨時行政調査会の会長に引っ張りだされ、いわゆる土光臨調のリーダーをやらされることになったので、芝生を刈ったりはできなくなってしまいました。

『よみがえる力は、どこに』新潮社


あの西郷隆盛翁に、これと同じような話がある。

西郷さんが、官を辞して、田舎に帰ったところ、そこへ村長が訪ねてきた。
村長は、西郷さんに、村の様々な問題や運営の難しさを切々と訴えた。

ずっと黙って聞いていた西郷さんは、やおら座りなおし、「そいじゃ、おいどんがやろうか」と本気で言ったという。

政府の参議や総督までやった西郷さんを、まさか村長に頼むわけにもいかず、村長は逃げるように帰ったという。

西郷さんは、「金もいらぬ名誉もいらぬ。命もいらぬと言う人は、始末に困る人だ」と言った。
だがまさに、西郷さんや土光さんこそ、この無我無私の人だ。

無我とは、利己的な我欲のないことであり、無私とは、私心がないこと。

小さな我欲や私心を捨て、清々しく生きたい。



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