2012.7.14 |
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ちょうだいの人
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藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…
夏目漱石(そうせき)の書は何とも言えない気品があって、誰もが欲しがった。
漱石門下の某氏もその一人で、かねがね何度か所望(しょもう)したが、一向に書いてくれない。
ある時、夏目邸の書斎で某氏はついに口を切った。
「前から何度もお願いしているのに、どうして僕には書いてくださらないんですか。
雑誌社の瀧田(たきた)にはあんなにお書きになっているのだから、
僕にも一枚や二枚は頂戴(ちょうだい)できそうなもんですな」
漱石は静かに言ったという。
「瀧田君は書いてくれと言うとすぐに毛氈(もうせん)を敷いて、一所懸命に墨をすり出す。
紙もちゃんと用意している。
都合が悪くていまは書けないというと、不満らしい顔も見せずに帰っていく。
そして次にやってくると、都合が良ければお願いします、とまた墨をすり出すんだ。
これじゃいかに不精なわしでも書かずにいられないではないか。
ところが、きみはどうだ。
ただの一度も墨をすったことがあるかね。
色紙一枚持ってきたことがないじゃないか。
懐手(ふところで)をしてただ書けという。
それじゃわしが書く気にならんのも無理はなかろう」
『小さな人生論 5』致知出版
自分では何の努力もしないのに、「ちょうだい、ちょうだい」と、何かを欲しがる人がいる。
例えば、親が亡くなるまで、音信不通で介護もしなかったのに、亡くなっていざ相続の話になると、
我先にやってきて権利を主張するような人。
自らの損得や利害に敏感な人、つまり自己中心的な人だ。
「ちょうだいの人」は、何かを得られなければ、ふて腐れたり、逆恨みしたり、まわりのせいにしたりする。
人と比較し、少しでも自分に不利が生じれば文句をいう。
努力なしの、棚ぼた式の「ちょうだい」は見苦しい。
自らの損得を考える前に、人の利や得を考える人でありたい。 |
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