2012.7.12 |
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一休禅師と袈裟(けさ)
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佐藤俊明氏の心に響く言葉より…
一休宗純(そうじゅん)禅師が紫野(むらさきの)の大徳寺に住持していたときのこと、
或る日、若い男が寺への玄関にやって来て、
「私は京都の高井戸と申す長者の使いの者ですが、来月大旦那さまの一周忌にあたりますので、
ぜひ禅師さまにおいでを願いたいのです。
高井戸と申せばすぐわかります」
と、さももったいぶってたのむのだった。
取次ぎの僧がその旨を伝えると、一休禅師は、
金持ちが金の力を借りて横柄な態度をとることを日ごろニガニガしく思っていたので、
何か心に期するところがあったのだろう、日時を確かめて参上する旨を返事させた。
秋の日は短く、やがてその日もたそがれ、夕やみがただよう高井戸家のいかめしい玄関さきに、
一人のみずばらしい乞食がやって来た。
うすよごれたボロをまとい、泥だらけのこもをかもり、
「どうぞ、おめぐみを…」
と、いかにもあわれげな声を出し、両手をもみながら物を乞うのであった。
が、高井戸家の下男たちは、
「うるさい。かえれ、かえれ」
と、みんな、寄ってたかって突き出そうとした。
それでも乞食はなおも、
「お慈悲でございます」
と哀願をくりかえした。
「何もやるものはないわい。とっとと消えうせろ!」
玄関さきでのこの騒ぎを聞きつけた若主人が出て来て、
「おい、乞食を早く追い出してしまえ、出てゆかねばたたき出せ!」
と下男に命じた。
かわいそうに乞食はたたかれ蹴られ、さんざんな目にあった挙句、往来に突きたおされてしまった。
なんとそれは一休禅師その人であった。
翌(あく)る日、一休禅師は目のさめるような法衣(ころも)と金襴の袈裟(けさ)をまとい、
約束の時刻に駕籠で高井戸家に向った。
高井戸家の門の内外はきれいに掃ききよめられ、
生き仏さまをおがまんものと大勢の人々が集まっていた。
主人をはじめ一族郎党は紋服をつけ、威儀を正して禅師を迎えるのであった。
一休禅師は、主人に導かれて門内に入った。
「禅師さま。どうぞ仏間にお越しくださいませ」
主人が丁寧におじぎをすると、一休禅師は、
「いや、わしはここで充分じゃ」といって動かない。
と、その場に敷いてあったむしろの上に腰をおろし、
なんといっても動こうとしない。
主人はいらだち、一休禅師の手をとって引き立てようとする。
一休禅師はその手を払い、
「それではこの金襴の袈裟や法衣を仏間に持っていっていただきたい。
わしの体はありがたいものでもなんでもないから、このむしろの上で結構じゃ」
といって
「ご主人、実は昨日の乞食も今日のわしも同じ人間じゃ。
昨日はたたかれ蹴られ、今日は迎えられて手厚くもてなされるが、一体これはどうしたわけか。
このお袈裟が光るからではないのか」
といってカラカラと大笑いされた。
時の将軍をはじめ多くの大名から尊敬されている一休禅師に対し、昨日の無礼を思うと、
もはや言葉も出ず、顔も青ざめてふるえるばかりだった。
一休禅師はにっこり笑いながら自分の着ている袈裟や法衣をそこに脱ぎ、
「この法衣や袈裟にたのみなさるがいい」といっていつもの通り、何の屈託もなく立ち去ったという。
『心にのこる禅の名話』大法輪閣
「人は見た目が9割」といわれる。
なるほどそれはある面で正しいが、それゆえ逆の失敗もしてしまうことがある。
それが、見た目で判断する愚だ。
弱いと思えば居丈高になり、逆に強いとわかれば下手(したて)に出る。
日本人の好む勧善懲悪のほとんどがこのパターンだ。
たとえば、水戸黄門のように、そのあたりにどこにでもいそうな好好爺なのでナメてかかり、
ひどい仕打ちをする。
しかし、物語が佳境に入り、その好好爺がいざ身分を明かすと天下の副将軍だった、という具合だ。
外見だけで判断せず、本質や中身を見る人でありたい。 |
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