2012.7.7 |
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七夕の願いごと
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多湖輝氏の心に響く言葉より…
ずいぶんまえのこと、日曜日の朝テレビを見ていると、お医者さんの講演を放送していました。
以下はそのお医者さんの話です。
ある下半身マヒの女性がいました。
その女性は、左手も思うように動かせないので、もちろん、車椅子を自分で動かすこともできません。
外出、お風呂やトイレでの介助など、すべての世話はお母さんの役目になっていました。
ある年のことです。
彼女を含めた障害者の方々のために七夕パーティが、ボランティアの人たちの手で開催されました。
みながとても楽しそうにかざりつけをしていました。
私が、彼女に、「短冊はもう飾ったの?」と聞くと、
「はい、私の願いは一つだけなので、短冊は一つ飾っただけです」と答えました。
「一つだけ?なんて書いたの」と聞くと、
「お母さんより一日だけ早く死ねますようにって書いたんです。
お母さん、ずっと私の世話ばかりだから。
私はお母さんがいないと困ってしまうけれど、お母さんには、
私の世話をしなくてもいい日が一日でもあって欲しいな!って思って」
彼女は笑顔でそう言ったのです。
私は感動してその話を、彼女の母親に伝えました。
すると、彼女の母親は、「私も短冊に願いごとを書いてきますね」と言って、向こうへ行ってしまいました。
飾りつけが終わってから、彼女の母親に、「短冊かざりましたか?」と聞くと、
「ええ、あそこに」と上のほうを指さしました。
ちょっと高い所だったので何て書いてあるのか読めません。
「何て書いたんですか?」と聞いてみると、
「ぜいたくを言わせてもらえば、娘より一日だけ長く生きさせてくださいと書きました」と、
娘さんと同じ笑顔でした。
そして、「自分が楽をするために、一日長くと書いたのではありません。
あの子が安心して天国へ行けるようにと思いまして。
一人ではお手洗いにも行けない子ですからね」と続けたのです。
この親子の絆を強く感じるとともに、その明るさに私は救われました。
『思わずほほえむいい話』PHP
私たちは、今の生活をあたりまえのこととして毎日を過ごしている。
もし、自分一人でトイレにも行けないとしたら…
誰かのお世話にならなければ、食事もできないとしたら…
そう考えたとき、今の生活がどんなにか、ありがたいものであるかがわかる。
些細(ささい)なことで、不平不満を言ったり、怒ったりする自分が恥ずかしくなる。
今あるあたりまえの幸せに気づき、感謝の気持で生きていきたい。 |
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