2012.7.5 |
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泥縄(どろなわ)
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立花大敬先生の心に響く言葉より…
泥縄(どろなわ)という言葉がありますね。
辞書で調べますと、
『〈どろぼうを捕えて縄を綯(な)う〉を略した語。
事が起きてから急にあわてて用意しても間に合わない、役に立たないことを示す』とありました。
ところが、禅では、泥縄式の人物を鈍器(どんき)として尊ぶのです。
時間という尺度で物事をとらえ、効率を考えたり、損得、優劣で判断する小ざかしい人間をきらうのです。
時間というモノサシをはずしてしまいますが、泥棒をつかまえたから、縄が必要になったんですね、
だから縄を綯おうというのですから、それでいいわけです。
時間のスケールの中で考えましたら、間に合う、間に合わぬ、
役に立つ、立たぬなどの価値判断が出て来てしまいますが、とにかく、
今、必要になったのだからやりましょう、効果の有無、役立つ、役立たぬなど、私の知ったことではない。
そんな事は一切神様にお任せしておいて、私は今、ここで必要になった、この一事をやるだけだ。
これを禅的〈泥縄式生活法〉といいます。
こんな〈泥縄式生活法〉の元祖は達磨大師(ダルマだいし)です。
ダルマさんはインド屈指の高僧で、多くの弟子、信者に囲まれておられました。
そんなダルマさんに、ある日、天命が下ったのです。
『インドでは、もう仏教は亡びてしまう。ここから西方に中国という国があって、
次に仏教はそこで花咲き、実を結ぶことになる。汝は中国に行って禅仏法を伝えなさい』
ダルマさんは、その天からの命を受けて、ただちに準備して、
涙を流して別れを惜しむ弟子、信者たちを後にサッサと出発されました。
その時、ダルマさんの年齢は何と83歳でした。
その当時の旅行ですから、中国にたどり着くのに3年もかかったそうです。
中国に到着して、方々の国を巡ったのですが、受け入れられず、
結局、インドからやってきた放浪僧ということにされてしまいました。
部屋も与えられず、廊下のすみっこで、赤い毛布にくるまって座禅をしておられたそうで、
そのダルマさんの姿を写したのが、いわゆる“ダルマさん人形”です。
ダルマさんは、こんな風に、誰に知られることもなく9年間も壁に向って座っておられらのです。
これを〈九年面壁(めんぺき)〉といいます。
9年目にしてようやく神光という弟子がたった一人できました。
その次、その次と、細々と法が伝わってきて、6代目の慧能という方の代になって、
ようやくワッと、中国大陸全体に、大きく禅仏法の花が咲き、実がなったのです。
ダルマさんの念願が実現するまで、実に百年以上の歳月がかかったということになります。
ダルマさんの行動は、私たちの時間の尺度で考えますと、役立たずだった、
失敗だったということになるのかもしれません。
しかし、神さまの時間スケールで見ますと、大いに役に立った、
一番ふさわしい行動であったということになるのです。
『ひとついのち』本心庵
世界の芸術家に大きな影響を与えたといわれる葛飾北斎は、75歳のときに「富嶽百景」を完成させた。
そのあとがきには、
「70歳までに描いたものは、取るに足らないものだった。
73歳にしてようやく鳥や獣、虫や魚、草木の本当の姿を描くことができた。
きっと90歳になったらその奥儀を究め、
100歳になれば人智を超えた域に達することができるかもしれない」、
とあり、実際は90歳まで生きたとされる。
晩年は家財道具も一切ないほどの赤貧を極めたが、北斎のその輝かしい作品群は残った。
道元禅師の言葉に、「前後際断(ぜんごさいだん)」がある。
過去や未来のことを断ち切り、今、この一瞬を生きる、ということだ。
今を一所懸命に生きる人は、後先を考えない。
「あの時しっかりやっておけばよかった」とか、「明日はどうなるだろう」、などと思い悩むことはない。
たとえ泥縄であったとしても…
今やるべきことを、後先考えずに、懸命にやる人でありたい。 |
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