2012.7.4 |
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人を裁くな
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D・カーネギー氏の心に響く言葉より…
1865年4月15日の朝のこと、フォード劇場で凶弾にたおれたエーブラハム・リンカーンは、
劇場のすぐ向いのある安宿のベッドに寝かされて死を待っていた。
この痛ましい光景を見守っていたスタントン陸軍長官は、
「ここに横たわっている人ほど完全に人間の心を支配できた者は、世に二人といないだろう」と、
つぶやいた。
それほど巧みに人間の心をとらえたリンカーンの秘訣は何か?
リンカーンは人を非難することに興味を持ったことがあるかというと、それが、おおありなのである。
彼がまだ若くてインディアナ州の田舎町に住んでいたころ、人のあら捜しをしただけでなく、
相手をあざ笑った詩や手紙を書き、それをわざわざ人目につくように道ばたに落としておいたりした。
その手紙の一つがもとになって、一生涯彼に反感を持つようになった者も現れた。
その後、弁護士を開業してからも、彼は、反対者をやっつける手紙を、
新聞紙上に公開したりなどしていたが、とうとうやりすぎて、
最後にとんでもない目にあわされることになった。
ある政治家のことを、新聞に匿名で風刺文を書いたのがもとで、
決闘を申し込まれ、危うく死にかけたのだ。
おかげで、彼は、人の扱い方について、この上ない教訓を得たのである。
二度と人を馬鹿にした手紙を書かず、人をあざけることをやめ、どんな事があっても、
人を非難するようなことは、ほとんどしなくなった。
それからずっと後のことだが、南北戦争のとき、ポトマック河地区の戦闘が思わしくないので、
リンカーンは、司令官をつぎつぎと取り替えねばならなかった。
国民の大半は、この無能な将軍たちを痛烈に非難したが、リンカーンは
“悪意をすてて、愛をとれ”と自分にいい聞かせて、心の平静を失わなかった。
“人を裁くな…人の裁きを受けるのがいやなら”というのが、彼の好んだ座右銘であった。
リンカーンは、妻や側近の者が、南部の人たちをののしると、こう答えた…
「あまり悪くいうのはよしなさい。われわれだって、立場をかえれば、
きっと南部の人たちのようになるんだから」
死ぬまで他人に恨まれたい方は、人を辛辣に批評してさえおればよろしい。
その批評が当っておればおるほど、効果はてきめんだ。
『人を動かす』創元社
誰かが失敗をして、その間違いを指摘し、非難したとしても、
その人は、「そうするより他に仕方がなかった」というだろう。
人から責められれば責められるほど、人はガードを固くして、
自己正当化を計り、間違いは決して認めない。
「盗人にも三分の理」のことわざのように、どんなに筋の通らないことでも、
それなりの理屈はつけられるものだ。
誰かを非難しても、決して、自ら反省したり、行動を改めたりすることはない。
人は感情の動物であって、論理で動くことは決してない。
「人を裁くな…人の裁きを受けるのがいやなら」
人を非難したくなったら、リンカーンのこの言葉を思いだしたい。 |
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