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2012.6.30

面白くやろうと思わないこと

柳家小三冶師匠の心に響く言葉より…

故志ん生師は、その日の高座で何を言い出すかわからない意外性のある噺家として評判であった。

思いもかけないギャグがポンポンと入り客を喜ばせたかと思うと、
静かになったのでよく見たら高座の上で酔って寝てたとか、20分の放送で枕を18分もやってしまい、
あとの2分で本題をやっつけちまったとか、お客ばかりか仲間うちまでが大喜びをしたものだった。

まだ駆け出しの頃の志ん朝さんが、
「お父ちゃん!噺てぇのァどうやったら面白くできるの?」
と、父子の間だから、さぞ秘訣を伝授してくれるだろうと思ったのだろう、

「ツマリソレハ、面白くやろうと思わないことだよ」
と志ん生師が答えた。

「落語はもともと面白くできてるんだから、素直にそのままやればいいのだ。
それを無理に笑わせようとしたり、わざと面白くやろうとするからつまらなくなっちゃう」

そういってみれば、ギャグや入れごとがいのちという人の噺には心の底からボクは幸せになれない。
笑うことは笑っても、笑わせられたという疲労感が残るし、多くの場合は笑えない。

それとは逆に、演者の姿がいつのまにか消えて、登場人物が見えてくる人の芸を聞くと、
わかりきっている噺でもついつい引き込まれて笑ってしまう。
感動してしまう。
落語っていいなァ、落語にめぐり逢えてよかったなァと思えてしまう。

志ん生師は我が子に、こういうことを言いたかったらしい。
この話はボクの座右の教訓である。

ボクの師匠は、「人物になり切れ」とよく言う。
つまり、そういうことだろう。
基本は、隠居は隠居らしく、八つぁんは八つぁんらしくだろう。

まともにやって面白い、それを芸というのだ。

『落語家論』新しい芸能研究室


昨今は、これでもか、これでもかと、力ずくで笑わせるようなお笑いが全盛のような気がする。
それにひきかえ、名人がやる古典落語には、思わず笑ってしまうという、
心の底からのしみじみとした笑いがある。

同様に、無理やり笑わせたり、元気にさせるセミナーや講演会も、後に疲労感が残る。

力のない人がやると、どうしてもそこに、力(りき)みが出て、クサイ芝居となってしまう。

無理やり大げさにはしゃいでみせたり、無駄に元気な人は、見ていて痛々しい。

力がうまく伝わらないことを「空回り」する、という。
これは、我々が誰かに自分の気持ちを伝えるプロセスと同じだ。

仕事も、日常も、かっこうつけずに淡々と努力する人でありたい。



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