2012.6.18 |
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一人でも応援してくれる人がいれば
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萩本欽一氏の心に響く言葉より…
東洋劇場に入って3ヶ月目に、恩人の緑川士郎先生に呼ばれてこう言われたんだ。
「あのねぇ、欽ちゃん。
3ヶ月経っても、まったくコメディアンの感じがしてこない。
このままこの仕事をやってると、えらいことになってしまうかも。
だからね、今のうちに、辞めたほうがいいんじゃないかな。
はっきり言って欽ちゃんはコメディアンには向いていないと思う」
聞きながら、胸をぐさりと刺されるような感じがしたな。
でもね、言われている通りなんだよ。
舞台に出ても上がってしまってセリフも言えない。
踊りはダメ、笑いもできないの、ないないずくしなんだからね。
「分かりました。
自分でも無理のような気がします。
今月いっぱいで辞めることにします」
思わずそう、口にしていたな。
先生の前から下がって、二階の誰もいない楽屋に行き、
短い間だったけれどお世話になりましたって、誰に言うともなく頭を下げていた。
胸の中がからっぽで、息をするのもうまくできない。
「どうしたんだよキン坊、何をしょげているんだ?」
ふと気付くと、すぐ側に、池信一師匠が立っていた。
「すいません、辞めることになりました。
さっき、演出家の先生に、“コメディアンには向いていないから辞めたほうがいい”って言われて、
はい分かりましたって返事しちゃったんです」
「えっ!?3ヶ月しかやらないで、もう結論を出したのか?
おまえ自身の気持ちはどうなんだ?
やりたいのか、やりたくないのか?」
「できたらもうちょっと… もう少しやってみてから決めたいと思うんですけど…」
「そうか、本当は、おまえ、まだ辞めたくないんだな?」
「…ええ…」
「よし、ここで待ってろよ!」
師匠はそう言って、パーッと何処かに走って行き、5分もしないうちに戻って来て、
「キン坊、続けてろ!」
そう言って、すぐにいなくなっちゃった。
なぜ辞めなくてもいいことになったのか、後で緑川先生が教えてくれたな。
「おまえの師匠が来て言ったよ。
あいつは不器用で気が小さいし、面白くもないし才能もないかもしれない。
けれど、いまどきあんなにいい返事をする子はいない。
あの返事だけでここにおいてやってくれってな」
「はいーっ!」っていう返事は、高校時代のアルバイト先で身に付いたんだ。
「ラーメン一丁!」
「はいーっ」
「出前頼むよー!」
「はいーっ」
ってね。
なんでも、一生懸命やっておくもんだね。
苦労が、どんなところで役に立つかわからない。
師匠の話をしてくれた後、緑川先生はこう言ってくれたんだ。
「この世界で大事なのは、うまいへたじゃない。
おまえのようなダメな奴を、辞めさせないでといってくれる人がいることが大事なんだ。
一人でも応援してくれる人がいれば、やっていける。
ずっとやってろ、一生、辞めるんじゃないぞ!」
涙が止まらなかった。
心の底から泣けちゃったな。
『欽ちゃんの ダメをやって運をつかもう!!』 DHC文化事業部
全ての人に否定されたとしても、たった一人、認めてくれる人がいるだけで、
その人間は夢を捨てずに頑張ることができる。
発明王のエジソンも、小学校では全く認められず、ついには落第したが、
たった一人、その母親だけが彼の才能を認め、伸ばしてくれた。
幕末の英雄、坂本龍馬も寺子屋では落第生で、字もロクにかけず、
寝小便ばかりしてメソメソ泣いていたというが、たった一人、
母親代わりの乙女姉さんがその才能を認め、教育もしたからこそ、歴史に名を残す風雲児となった。
欽ちゃんがコメディアンになるきっかけを与えてくれたのも、
欽ちゃんを初めて認めてくれた中学校の先生だったという。
どんなにダメな人間でも、何か一ついいところがあれば、それを認め、誉め、そして応援する。
年長者やリーダーが、もっとも心掛けなければならない資質が、これだ。
逆境や苦難のときこそ、誰かのよき応援者でありたい。 |
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