2012.6.10 |
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尊敬される道義大国を目指そう
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日本のサッチャー、稲田朋美氏の心に響く言葉より…
私は上に立つ人にはいろいろな要素が必要だと思います。
人格とか魅力とか調整力とかそういうものが備わっていなければならないと思いますが、いまの時代、
最終的に求められる国家リーダーの条件として、少々の犠牲を払ってでも自らの信念を貫く、
一種の「狂」みたいなものもないといけないのかなと思います。
サッチャーはテロに遭ったり、ホテルを爆破されたりするなど命を狙われ、
実際に自身のブレーンも亡くしています。
サッチャーはまさに命懸けでしたが、政治家にとって自分の信念に従って活動している最中に
テロに遭って死ぬのも、ある意味で幸せな死に方だと思うんです。
私は国民がリーダーに求めているのはマニフェストじゃないと思うんです。
政治家は政策が大事だというけれど、私はマニフェストじゃ政治はできないと思います。
この国をこうしていきたいという理念。
この理念をリーダーは国民に語るべきです。
なぜなら理念なき政策はむしろ有害になるおそれもあるからです。
そういう意味で、私は政治家になった時から日本を道義大国にしたいといい続けてきました。
日本はアメリカのように自分だけが豊かになって他の人が貧しくなっても
勝ち残ることを考える強欲資本主義でもなければ、
中国のように自分が欲しいものを力ずくで奪いにいく覇権国家でもありません。
高い道徳性と倫理観で世界中から頼りにされて、尊敬される道義大国。
それを目指すべきだと思っています。
そして世界中で日本だけが道義大国を目指す資格があるんです。
なぜなら二千五百年以上、皇室は日本国だけでなく世界人類の幸福と平和を祈っておられる。
そのためには、国民一人ひとりのモラルがあがらなけれればなりません。
いくら政治の構造や仕組みを変えても、国民が変わらなければ日本は変わらないのです。
いまを生きる私たちには先人が命を懸けて守ってきた日本を、
未来の子供たちに渡していく使命があります。
“いま、政治リーダーは何をなすべきか”(稲田朋美・渡部昇一・佐々淳行)鼎談
『致知 2012年7月号』致知出版社
行徳哲男師はこう語る。
「日本人に『ど阿呆』がいなくなった。
ど阿呆とは狂愚の人と言ってもいい。
例えば吉田松陰である。
彼は『狂愚まことに愛すべし、才良まことに虞(おそ)るべし』と言った。
狂愚は愛すべきだが、頭のいいだけの人間がいかに恐ろしいかを知っていたのある」
“感奮語録”致知出版より
幕末の志士たちには、ある種の「狂気」があった。
頭だけを磨き理屈を言う、「正気」の人間には行動がない。
ど阿呆の人間だけが、国を動かす、狂愚というパッションを持っている。
目指すは、尊敬される道義大国、日本。
「狂愚まことに愛すべし」の気持ちで毎日を過ごしたい。 |
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