2012.4.12 |
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「ごみバケツ」の法則
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元Yahoo!のクレーム担当者、デイヴィッド・J・ポーレイ氏の心に響く言葉より…
その日、僕はタクシーでグランド・セントラル駅に向かっていた。
すると、道路脇の駐車場からいきなり黒い車が飛び出し、僕の乗ったタクシーの前に強引に割り込んできた。
驚いた運転手さんが急ブレーキをかけたため、タクシーはスリップし、
前の車まであと数センチのところでかろうじて停止した。
いきなり割り込むなんて信じれない!
でもその後、さらに信じられないことが起こった。
黒い車を運転していた男(つまり、あやうく事故を起こすところだった張本人)が、こちらに向かって、
大声で怒鳴り出したのだ。
いったい、どういう思考回路をしているんだろう?
さらに驚いたことに、被害者であるタクシーの運転手さんは、男の行動にいらだつ様子も見せなかった。
それどころか、にっこりと微笑みかけ、手を振ってその場を去ったのだ。
これって、何かの宗教なのか?
いぶかりながら、僕はたずねた。
「運転手さん、あんなやつに、よくもそんな態度がとれますね。
あいつのせいで僕らは死んでいたかもしれないのに」
この時の運転手さんの返答が、僕が今、「ごみバケツ」の法則と呼んでいるものの原型となった。
彼はこう言ったのだ。
お客さん、こういう仕事をしているとね、ああいう「ごみバケツ」みたいな人にしゅっちゅう会うんですよ。
彼らの心の中は、不満、やり場のない怒り、落胆といった感情の「ごみ」でいっぱいなんです。
「ごみ」がたまって、心のバケツからあふれそうになると今度は捨てる場所を探す。
その時、お客さんがそばにいれば、お客さんに「ごみ」を投げ捨てる。
相手はお客さんでなくてもいい、捨てさせてくれれば誰でもいいんです。
だからね、「なんで自分がこんな目に!」なんて思う必要はありません。
ただ、にっこり笑い、手を振ってやりすごし、幸運の一つでも祈ってやればいいんです。
『あなたの心の「ごみバケツ」を空にする本』イースト・プレス
人は真面目であればあるほど、いい人であればあるほど、人の評判や批判を気にする。
何かちょっと非難されたされただけで、落ち込んでしまう。
怒ったり、非難したり、罵倒(ばとう)したりする、いわゆる悪のパワーの強い人は、
往々(おうおう)にして、善人をへこませ、圧倒する。
悪のパワーに対処するには、相手に倍するパワーで立ち向かうことも時には必要だが、
多くの場合は、関わらずに「やりすごす」ことの方がうまくいく。
もし誰かに攻撃されたとき、それが自分への非難ではなく、『「ごみバケツ」が満杯で、
ただそのはけ口にされた』と思ったら、笑って「やりすごす」ことだ。
菜根譚(さいこんたん)の中に、こんな言葉がある。
風来疎竹 (風 そちくに 来る)
風過而竹不留声 (風 過ぎて 竹に声を留めず)
風が吹いて、竹林がザワザワと音をたてる。
しかし、風が通り過ぎた時には、竹林には何の音も残っていない。
誰かの非難や、怒りという「ごみバケツ」を…
竹林のたとえのように、笑ってやりすごせる人でありたい。 |
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