2012.3.31 |
|
惚れて通えば千里も一里
|
|
邑井操氏の心に響く言葉より…
秀吉こと、木下藤吉郎の仕事観は、
「仕事に辛いの辛くないのとごてごていっている連中が多いが、つまらぬ話だ。
骨惜しみをするから辛くなるのである」
藤吉郎は人から言われる前に、先回りしてやってしまう。
「滅法ハカのいく男」と信長から見られたのはそのためだ。
自らその気になって人より先々にやる仕事だから、人の三倍も働くことになる。
それでいていっこうに疲れない。
嬉々としているからだ。
彼の心は常に弾んでいる。
というより自分で弾んでみせている。
弾みをつけている。
こういう男がこんど人の上に立ったとき、
「どうしたら部下を喜ばせることができるか」と、思案する。
「人心を華やかにしたもうこと、なかなか信長公も及ばざる大将なり」
と、一言で「太閤記」の著者はそう秀吉を評している。
長久手の戦で先鋒の将・池田信輝が家康と戦って敗れたという報が、秀吉のところへ入ったとき、
彼はいきなり庭へとびおり、相撲取りのようによいしょよいしょと何回か四股を踏み、
景気よく弾みをつけ、それからただちに軍を発し、八方の兵を十六段に分かって家康を討つべく出かけている。
なにか彼の周囲にはおもしろい雰囲気がただよっている。
戦の真っ最中にも余裕があって、せっぱ詰まった息苦しさがない。
秀吉にとって仕事は辛いものというより、どうこなしてやろうかという楽しみがあるように見える。
料理人が魚をまな板にのせ、さあどう料理してやるかなと、得意の腕をふるうような姿勢がある。
鼻うたまじりの気楽さが見えるのはどういうことだろうか。
本田技研の創業者・本田宗一郎さんが、ある日、高松宮さまから訊かれた。
「発明というものはとても大変でしょう。辛いだろうね」と。
本田さんが答えている。
「殿下は、“惚れて通えば千里も一里”という俗諺(ぞくげん)をご存知ですか。
好きな女性のところへ行く時、心がわくわく弾んで、千里の遠い道のりもたった一里の近さに思えるわけです。
よそから見ると大変だろうなと思うような困難さも、当人は好きな仕事ですから苦労になりません。
発明とは、私にとっては恋人のようなものでございます」
と答えて高松宮さまを感心させたそうな。
秀吉にも本田さんにも仕事が好きという以上に、楽しんでいるふうがある。
真のプロとはそういうものであろう。
だからきびしい半面リラックスした余裕が見られる。
弾みがちがうのである。
『遅咲きの人間学』PHP文庫
「弾み」とは、勢いだ。
弾みがある人は軽い。
おっくうがらずに、軽やかにすぐに動く。
「軽い」の前に「あ」をつけると、明るい。
軽さは明るさに通じる。
弾みがあって、明るい、そんな魅力あふれる余裕の人でありたい。 |
|
|