2012.2.26 |
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江戸っ子は物を持たない
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法政大学教授の田中優子氏の心に響く言葉より…
江戸では火事が多い。
火事が起こったら、大店(おおだな)は営業ができなくなる。
そこで、川向こうの深川に蔵屋敷を持ったり、材木を備蓄しておく。
店が焼けてしまったら、すぐに人材を集めて7日ほどで仮店舗を建てて開業し、
店を再建している間も営業を続けた。
江戸っ子は、したたかでなければ生きていけない。
江戸で外食産業が発達したのは、火事跡に食べ物を供給する屋台が立ったからである。
火事は生活文化も生み出したのだ。
火事で財産を失ってしまうという体験は、意外なことに、江戸っ子に計画性と組織性をもたらした。
防火グッズや再建に必要なものを備蓄しておくこと、そして何より、
再建に手を貸してくれる人間関係を大切にするようになった。
火事や地震は地域の人々のつながりがあって初めて、乗り越えられるのである。
宵越しの銭を持たないのは火事が多いからだ、とも言われる。
確かに、計画性があっても結果はどうなるかわからない。
可能な限りの備えをして、それでも火事で焼け出されたら、それは運命として受け容れるしかないのである。
下層庶民は荷物を軽くしておく必要があり、夜具とニ、三枚の着物があればよかった。
江戸時代の人々は「足るを知る」という言葉のままに生きていた。
『江戸っ子はなぜ宵越しの銭を持たないのか?』小学館101新書
江戸時代の庶民はよく引越しをした。
例えば、葛飾北斎は89歳まで生きたが、生涯に93回引っ越したと言う。
物を持っていなかったから、引越しは簡単で、費用もかからなかった。
逆にいうと、家主は競争が激しく、家賃を簡単には上げることはできず、物価も安定していたと言える。
(同書より抜粋引用)
「物を所有しない」、という考え方は、生活様式や価値観を根本的に変える力を持っている。
物を持たない生活者が多ければ、サービス産業が発達する。
江戸には、はき物屋や、床屋もあれば、蕎麦も、寿司も、天ぷらもあり、それも屋台で安く食べられた。
所有するものが少ないと、物を何回もリサイクルして使うため、様々なリサイクル業が繁盛した。
「宵越しの銭は持たない」という、物や金に執着しないのが粋とされた江戸時代。
大激動の今、我々が生き延びるために必要な、大きなヒントが江戸時代には隠されている。 |
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