2012.2.21 |
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嫌な奴に対するには
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斉藤一人さんの心に響く言葉より…
我慢するということは、嫌々そこにいる。
調和するということは、楽しくそこにいる。
で、少なくとも、まわりのみんなと仲良くしなくっちゃいけないのか、というと、そんな必要はまったくありません。
嫌な奴となんか仲良くすることなんてないんです。
嫌な奴と仲良くすると、人生が嫌になっちゃうんです。
嫌な奴は、「嫌な奴だな―」と思わなければいけない。
それで、隣にいても、いないように思わなければいけないのです。
嫌な奴がいたら、「嫌な奴だね―」とか、「性格悪いね、意地悪いね―」とか、
「いつも暗くまとめてるね―」とか、「今日も暗いね―」とか、言っちゃうんです。
そうすると、相手にとって、自分のほうがもっと嫌な奴になりますから、寄って来ませんから。
嫌な奴には、「三倍ぐらい嫌な奴」になってやればいいんです。
そうなると、二度と来ませんから。
誰かが「おまえは、嫌な奴なんだ」とわからせてあげなくっちゃいけないんです。
それなのに、「嫌な奴だけど、この人と一緒にいてあげようか」なんていう半端な奴がいるから、
相手が気がつかないんです。
誰かが教えてやんなきゃ駄目なの。
愛ですよ、愛。
このままでいくと、一生嫌な奴のままで終わって、死んだら地獄へ行かなきゃならないんですよ。
早く教えてあげなくっちゃ。
「本当に嫌な性格だね!」と愛を込めて。
これでスッキリ。
『人生が全部うまくいく話』知的生き方文庫
「いい人」や、「善人」は、往々にして、悪い奴や嫌な奴に傷つけられたり、やっつけられてしまうことが多い。
「相手の気持ちを大切に」とか、「人と仲良くしなければ」、とか教えられてきているからだ。
しかし、それは相手が、「いい人」や、「善人」に対しての場合にだけ通用する言葉。
相手がだましにかかってきたり、それを悪用しようと思えば、善人はコロリとだまされてしまう。
「オレオレ詐欺」もそうだが、悪い奴は、善人より巧みで、悪知恵が働いて、パワーがある。
嫌な奴に対するには、それに倍するパワーで接することが必要だ。 |
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