2012.1.4 |
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一途一心(いちずいっしん) |
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致知出版の藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…
一途一心(いちずいっしん)とはひたらすら、ひたむきということである。
一つ事に命を懸けること、ともいえる。
あらゆる道、あらゆる事業を完成させる上で、欠かすことのできない心的態度である。
物事の成就はこのコア(核)なくしてはあり得ない。
倫理研究所の創始者、丸山敏雄氏の言葉。
「己の一切を学問に捧げ、事業に傾け、仕事に没頭してこそ、はじめて異常(ふしぎ)の働きができる。
己の大きな向上、躍進、完成は己を空しくすることである。
身を捧げることである。
ここに必ず、真の幸福が添うのである」
森信三著『修身教授録』にある言葉。
「真の“誠”は何よりもまず己のつとめに打ち込むところから始まるといってよいでしょう。
すなわち誠に至る出発点は、何よりもまず自分の仕事に打ち込むということでしょう。
総じて自己の務めに対して、自己の一切を傾け尽くしてこれに当る。
即ち、もうこれ以上はつくしようがないというところを、なおもそこに不足を覚えて、
さらに一段と自己を投げ出していく。
これが真の誠への歩みというものでしょう」
『安岡正篤一日一言』の中にも次のような言葉がある。
「何ものにも真剣になれず、したがって、何事にも己を忘れることができない。
満足することができない。
楽しむことができない。
常に不平を抱き、不満を持って、何かの陰口を叩いたり、やけのようなことをいって、
その日その日をいかにも雑然、漫然と暮らすということは、人間として一種の自殺行為です。
社会にとっても非常に有害です。
毒であります」
では、どういう生き方をすればよいのか。
「いかにすればいつまでも進歩向上していくことができるのか。
第一に絶えず精神を仕事に打ち込んでいく、ということです。
純一無雑(じゅんいつむざつ)の工夫をする…近代的にいうと、全力を挙げて仕事に打ち込んでいく、
ということです」
『月刊 致知』 “2012年2月号”特集《一途一心》 致知出版社
「一所懸命」は、「一生懸命」ではない。
一所懸命は、一つところに命を懸けるということだからだ。
事業においても、勉強やスポーツにおいても、ただひたすら、わきめもふらず、
一つところに命を懸けるという時期がないと、成功はおぼつかない。
「一意専心」という、一心不乱に没頭することができない人は、なんとなくぼんやり生きている人だ。
なんとなく起きて、なんとなく食事をし、なんとなく仕事をして、ぼんやりと一日が終わる。
そこには生きている証(あかし)は一つもない。
ぼんやりとではなく、鮮烈に人生を生き抜くには、「人生二度なし」(森信三)の気持で、
この瞬間を必死に生きるしかない。
不平や不満を言っているひまはない。
逆に言うなら、不平、不満、愚痴、悪口を絶えず言う人は、なんとなく、ぼんやりと暮らしている人だ。
自分に与えられた目の前のやるべきことに、「一途一心」に取り組みたい。 |
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