2011.12.15 |
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一病息災 |
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外山滋比古氏の心に響く言葉より…
これは、ある学校の同窓の話である。
90歳を迎えたクラスが同級会を開いた。
出席した人のひとりが、おもしろいことを発見した。
生き残って出席しているのが、申し合わせたように、その昔、在学当時、病弱で、
体操や教練を“見学”していたようなものばかりだったのである。
病気をしたことがないという強いものは、みんなお先に失礼してしまった。
スポーツで体をきたえていたものも案外早く亡くなった。
病気の問屋だといわれ、かげで、いつまで生きるかと案じられた連中が、ゆうゆうと90に達して、
なお、かくしゃく、クラス会に出席している。
人間、やはり、不思議である。
どうして健康だったものより、病弱だったものの方が長生きをするのか、より健康になったのか。
決して、弱いものの方が強い、といった単純なことではない。
弱いのは弱いのである。
強い仲間に対して、意識しないところで、劣等感をいだいているのであろう。
それをなんとかはね返したくて、健康者のしない努力をする。
それで少しずつ健康になる。
そしてついには、自然に健康であったもの以上に健康になってしまう。
強くなりたいという願望と心掛けで、大健康を手に入れることになったのである。
『ちょっとした勉強のコツ』PHP文庫
「一病息災(そくさい)」という言葉がある。
ひとつくらい病気があったほうが、健康に注意するのでかえって長生きする、ということだ。
風邪ひとつ引かない健康な人は、自分の体に対して過信しやすい。
また、若い頃から、身体が頑丈で、少しくらいの無理してもなんともない人は、
年をとってもつい無理をしてしまう。
自信過剰は、自己中心的であり、驕(おご)りであり、うぬぼれだ。
会社や仕事も同じで、自信満々の人は、ときに大きくつまずくことがある。
心配性で、石橋を叩いて渡るような人の方が事業では失敗が少ない。
自分を客観視することができ、謙虚になれるからだ。
相田みつを氏の言葉。
「一病息災 貧乏神同居
しかもかくのごとくなりといえども
いのち明朗 いのち満点」
力の強いものが勝つわけではない。
匹夫の勇(ひっぷのゆう)を戒め、謙虚に歩んでいきたい。 |
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