2011.12.7 |
|
選手宣誓 |
|
ヨシダグループ会長兼CEOの吉田潤喜氏の心に響く言葉より…
中学で空手をはじめたのも、強くなりたい一心から。
肩で風を切ってガンを飛ばしながら街を歩き、毎日ケンカに明け暮れた。
学校での呼び名は「創立以来の、ごんたくれ」。
泣く子も黙るワルだった。
そんな僕を魅了したのが、中学3年のときに開催された東京オリンピックで見た、アメリカだった。
僕はなぜかアメリカ人の勝利が眩(まぶ)しく見えた。
アメリカこそが強い国。
そんな意識が植えつけられてしまったのだ。
大学受験に見事失敗して(それも英語で!)、強い国アメリカを目指したのは、ごく自然な流れだった。
シアトルに暮らしはじめて2、3ヶ月は、中古で買った車で寝泊りしていた。
やがてガーディナー(芝刈り)のアルバイトを見つけ、
裸電球がぶら下がった家賃30ドルの安アパートに住むようになった。
空手の授業で助手に見込まれ、賞金稼ぎの空手トーナメントにも出場することが、生活の糧になっていた。
アメリカに来て2年ほど経った1971年、空手の道場をひらいた僕はリンダと出会う。
一目惚れして、押しに押して2週間後にプロポーズし、成功した。
世の中が不況にあえいでいた1981年。
子どもを抱えているのに、空手道場の生徒数が激減し、我が家の財政状況は火の車だった。
このとき母が昔よく作ってくれたソースをクリスマスプレゼントとして生徒たちに贈ったところ、
それがやがてビジネスになり、僕ら家族を救ってくれた。
これが「ヨシダソース」のはじまりだ。
しかし順風満帆なことばかりではなかった。
現在に至るまで4回破産しかけて、自らのこめかみにピストルを突きつけたこともある。
失敗の数なら、誰にも負けない。
ソースを作り始めて間もない頃、
銀行から借金した3万ドルをとある事情で60日以内に返済しなければいけなくなった。
経営の素人の僕がやったのは、「1万本」と紙に書いて、工場のあちこちに貼ることだった。
誰にみせるわけでもなく、自分の目につくところに貼ったまでのことだが、とは言え、
工場のトイレや、空手道場にも貼り出したものだから、生徒たちも「1万本ってなんやねん?」と騒ぎ出した。
なんてことはない。
3万ドルを返すためには、2ヶ月でいつもより1万本多くソースを売ればいい。
そこで自分にスイッチを入れるために、そこかしこに紙を貼ったというわけだ。
すると自分が本気になると同時に、僕の必死な姿を見て、周りの人まで動き出した。
空手道場の生徒たちはアドバンス・パーチェス(前払い)をしてソースを買ってくれたり、
従業員は家の近所で売ってくれたり…。
おかげで、目標の1万本はあっという間に達成された。
やりたいことや、こうなりたいという理想を口に出したり書いたりするのは、選手宣誓のようなもの。
自分と周りの人間に宣言することで、自分を奮い立たせれば、
そのエネルギーは周りにも波及し、多くの人が力をくれる。
ホラ吹きと言われたっていいじゃないか。
人に宣言することで、考えられないほどのエネルギーが湧き出てくることがあるのだから。
『ヨシダソース創業者ビジネス7つの法則』ディスカヴァー
吉田氏は、アメリカのソース王と呼ばれ、イチローの次に有名な日本人とも言われている。
そして、無一文から、18社を作り、約250億の企業グループに成長させた。
夢や目標は密かにひとりで見ているだけでは、成就しない。
紙に書いたり、まわりに宣言するからこそ、本気になり、まわりからの手助けもある。
「借金返済」というようなマイナスの夢は、かえって借金を引き寄せることがある。
夢は、「○○円を稼ぐ」、「○○本売る」、というような、ポジティブな発想の方が実現しやすい。
なぜなら、「借金」という言葉が、脳にインプットされてしまうからだ。
なんど失敗しても、あきらめなければチャンスは必ずどこかにある。
たとえ崖っぷちに立たされても、成功をイメージし、それを人に宣言することで、
自分を奮い立たせて前に進みたい。 |
|
|