2011.11.25 |
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ひとつだけでは、多すぎる |
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外山滋比古氏の心に響く言葉より…
アメリカの女流作家、ウィラ・キャザーが、
「ひとりでは多すぎる。
ひとりでは、すべてを奪ってしまう」
ということを書いている。
ここの「ひとり」とは恋人のこと。
相手がひとりしかいないと、ほかが見えなくて、すべての秩序を崩してしまう、というのである。
着想、思考についても、ほぼ、同じ事が言える。
「ひとつだけでは、多すぎる。
ひとつでは、すべてを奪ってしまう」。
この一筋につらなる、ということばがある。
いかにも純一、ひたむきで、はた目にも美しい生き方のようであるけれども、
かならずしも豊饒な実りを約束するとはかぎらない。
いくつかの筋とそれぞれにかかわりをもって生きてこそ、やがて網がしぼられ、
ライフワークのような収穫期を迎えることができる。
論文を書こうとしている学生に言うことにしている。
「テーマはひとつでは多すぎる。
すくなくとも、二つ、できれば、三つもって、スタートしてほしい」。
きいた方では、なぜ、ひとつでは「多すぎる」のかぴんと来ないらしいが、
そんなことはわかるときになれば、わかる。
わからぬときにいくら説明しても無駄である。
ひとつだけだと、見つめたナベのようになる。
これがうまく行かないと、あとがない。
こだわりができる。
妙に力む。
頭の働きものびのびしない。
ところが、もし、これがいけなくとも、代わりがあるさ、と思っていると、気が楽だ。
テーマ同士を競争させる。
いちばん伸びそうなものにする。
さて、どれがいいか、そんな風に考えると、テーマの方から近づいてくる。
「ひとつだけでは、多すぎる」のである。
『思考の整理学』ちくま文庫
富士山に登るには、いくつも道はある。
一人で登る人もいれば、何人かで登る人もいる。
楽しみながらゆっくりと時間をかけて登る人もいれば、競技のようにストイックに登る人もある。
そして、登山ルートはいくつもある。
どれが正しいということではない。
ただ、いくつもの道を知っていれば、もっとおおらかに楽しめる。
何かを決めるとき、選択肢をいくつも持っている人は、一つを否決されても別の案があるからと、少しも困らない。
どんな時でも、オプションを多く持つ人は、余裕がある人だ。
「打つ手は無限」という言葉がある。
どんな困難があろうと、難問であろうと、打つ手をいくつも持っている人は途方に暮れない。
それには…
表だけでなく、裏からも考える。
一面だけでなく、多角度から考える。
短期でなく、長期で考える。
枝葉でなく、本質で考える。
抽象的でなく、具体的に考える。
という、いくつもの思考方法を持っていれば、視野は広がり、選択肢は限りなく多くなる。
「ひとつだけでは、多すぎる」
ひとつのことにとらわれず、視野を大きく持ち、打つ手をいくつも持ちたい。 |
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