2011.11.12 |
|
さりげない気づかい |
|
大島清氏の心に響く言葉より…
パーティで、周りの人の飲み物とか皿の空き具合を見て、お酒がなくなればすぐについでくれるし、
料理がなくなれば新しい料理を厨房に求めに行ったりする人がいる。
少し顔色が悪いと、「どこか悪いんじゃないの?」と声をかけてくれる人がいる。
「気づく」というのは周囲にとってありがたい能力であり、さわやかな能力である。
若い男女が十人ばかり会社の寮になっている山荘に泊まった。
美人だと噂される女性もいたし、さえないと噂される青年もいた。
一晩、どんな男性がもてるかという話題で盛り上がった。
当然、注目されたのは出世コースに乗りかかっている青年で、彼はハンサムで背も高かった。
実は、その後、さえない青年は例の美人と結婚したのだ。
なぜ結婚を決意したかを聞かれた女性は、あの晩のことを語った。
他の男性たちは自分がいかにもてるか、将来性があるかを語ったけれど、事実そうなのだと思う。
でも彼は笑っているだけで自分のことは何も言わず、周りの人のコップが空になったかと思えば
ついでやり、悪酔いしそうな女性には水を持ってきてやった。
さりげない行動を見ているうちに、この人が一番かっこういいと思ったという。
よく気がつく人は、自分でも気づかぬうちに周囲を感動させていることがあるのだ。
『「感動する人」はなぜ若々しいのか』新講社
華がある人、目立つ人は、知らず知らずに自慢していることに気づかないことがある。
なぜなら、ほめられ、ヨイショされているうちに、人はうぬぼれてしまいやすいからだ。
大騒ぎしている最中は気づかないが、冷静な人はそのことをよく見ている。
寡黙(かもく)で、控えめな人は、目立たない。
中国の明末の書、「酔古堂剣掃(すいこどうけんそう)」の中の一節より…
「野に咲く花も目にあでやかである
必ずしも牡丹(ぼたん)でなければならないことはない
村の地酒も人を酔わせる
何も銘酒でなければならないことはない」
目立たないが、さりげない気づかいで、周囲を感動させるような人でありたい。 |
|
|