2011.10.22 |
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長く待たされたとき |
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竹村健一氏の心に響く言葉より…
どんなことがあっても、それを幸運ととらえるか不運ととらえるかは、
自分の考え方、とらえ方ひとつで大きく変わってくるものだ。
たとえば、待ち合わせをしていた彼女がすっぽかしたりしたら、普通ならば怒る。
続けて2.3回そのようなことがあれば、
「振られてしまった。やはり、おれはもてないのか」などと失望したりもするだろう。
しかし、そのときに、次のように解釈できれば、落ち込んだりせずに、前向きに考えることができる。
彼女が約束の時間に喫茶店に現れずに、一時間も二時間も待たされたとする。
その時間をただイライラしながら待っているのではなく、本を読むのに使えばいい。
そうすればその時間にたっぷり本を読める。
彼女が遅れて来ても、怒ったりせずに「お陰で、この時間に日ごろ読みたいと思っていた本が
読めた」と、余裕を持って接することもできる。
本を読んで待っていても、よく、誰かが入ってくるたびにキョロキョロ見回している人がいる。
しかし、待ち合わせの場所が、それほど広くない喫茶店などであれば、キョロキョロしても仕方ない。
それに相手は遅れているのだから、当然、相手のほうが探すはずだ。
本を読むことに集中していれば、待つことは何ともないから、
彼女がやってきて遅れたことを謝ったときに、腹も立てずに許せるというものだ。
そうなると、彼女のほうも「寛大な人だ」と、彼のことをさらに見直すことにもなり、
振られるようなことにもならない。
何ごとも明るく、前向きにとらえることが肝心なのだ。
ものごとにはすべて表と裏がある。
表が良ければ裏が悪い。
裏が良ければ表が悪いというものだ。
『幸運の女神に好かれる法』青春出版社
誰しも、長く待たされれば、イライラしたり、怒ったりもする。
その待たされたときに、怒らず、ニッコリと相手を迎え入れることができたら、
寛大な人物と逆に感謝されるかもしれない。
もちろん、待たせるほうが悪いに決まっている。
当たり前のごとく待たせる傲慢な人は別にして、恐縮し、平身低頭して、過ちを悔(く)いている人は別だ。
もし仮に、遅れた人を徹底的に非難し、なじれば、表面的には謝ったとしても、
心の底では悪感情を抱き、敵を作ってしまうかもしれない。
反対にゆるせば、感謝され、味方が増える。
人間関係にとって、「ゆるし」は感謝と同義語だ。
だからこそ、イライラしたり、怒らないための、考え方の工夫や、仕掛けをいくつも作らなければならない。
誰もが怒るような状況で、ニッコリと笑ってゆるせる寛大な人でありたい。 |
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