2011.10.7 |
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人生は心一つの置きどころ |
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第48代横綱・大鵬(納谷幸喜)関の心に響く言葉より…
世間では幕下の頃は幕内に入るよう猛稽古して、十両になれば付け人が何でもしてくれるから楽だ、
なんて思われているかもしれませんけれどもね、
相撲界は上に上がれば上がるほど稽古しなければダメですよ。
要するに、横綱が一番稽古しないといけないんです。
だって負けてはいけない存在なんですから。
勝負では私はいつも「淡々としていろ」と言うのですが、
淡々とするためには逸(はや)る己の心をいなさなければいけない。
「ここ一番!」と思ってカリカリしないで、堂々としろ、と。
それが横綱相撲というものです。
私は弟子たちには、「相撲社会に入ったら、一般社会の考えは捨てろ」と言ってます。
要するに「相撲バカ」になれということです。
愚直に体を痛めつけて、自分の体で覚えろ、自分の体で体得せよ、と。
みんな夢だとか目標だとか言うけれども、そういうことではないよと。
毎日毎日同じことを繰り返し続けることです。
大事なのは何の変哲もない丸い土俵から何を学ぶか、ということですよ。
いろいろな人に会って話をするのもいいけれども、
自分の心ができていなのにいくら話を聞いてもそれ以上のことは吸収できません。
相撲取りが心をつくるのは、土俵でしかないんです。
しかし、勝とうという気持ちが強すぎると、固くなって負けてしまう。
本当にその心の置きどころが難しい。
結局、その心を調節できないければ負けるわけです。
調節できるようになるためには、やっぱり自分の体で稽古をするしかないと思います。
だから、死ぬまで勉強ってことでしょうね。
私は30歳で引退し、その6年後には脳梗塞で倒れ、以来ずっと闘病生活です。
私の場合は、「横綱大鵬」ということが一生ついて回ります。
それも心の置きどころです。
横綱がこんなことでへこたれてたまるか、そう思ってリハビリも人並み以上にやってきました。
「人生は心一つの置きどころ」とは、要するに自分に克(か)つか負けるかということでしょう。
引退した、病気になった、だからもういいと思ったら終わりです。
《吾、相撲の道を極めん》“白鳳翔&納谷幸喜(大鵬)対談”より
『月刊 致知』(2011年11月号)致知出版
人生は心一つの置きどころ。
人間の心で行う思い方、考え方が、人生の一切を良くもし、悪くもする、というのが人生支配の根本原則である。
思い方や考え方が積極的であれば、積極的なものが出来、消極的なら消極的なものが出来る。
何事においても、そのときの心の状態が、成功を生み、また失敗に追いやる。
《運命を拓く》(中村天風)より
同じことを経験しても、心の置きどころによって、その受け止め方は大きく違ってくる。
松下幸之助翁は、「貧乏」「学歴なし」「体が弱い」の3つがあったから、成功したと言っている。
普通の人なら、3つもハンデがあったからうまく行かなかったというだろう。
心を積極的な方向に置くのか、あるいは消極的な方向に置くのか、
それによって物事の捉え方は正反対になってしまう。
「淡々とするためには逸(はや)る己の心をいなさなければいけない」(大鵬)
いなすとは、相撲の中で、急に体をかわして、突進してくる相手を受け止めずに、体勢を崩すことを言う。
逸る心をいなすとは、興奮して勇み立っている心を、フッとかわしてやること。
「蒔(ま)いたとおりに 花は咲く」
やってくる困難も、障害も、どうとらえるかで、人生は変わってくる。 |
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