2011.9.25 |
|
ほめる人は敵が少ない |
|
フランチェスコ・アルベローニ氏の心に響く言葉より…
私たちはにはだれにでも、たとえ気がついていなくても、敵がいる。
こっちの成功が迷惑だとか、相手の昇進をはばんだりとか、あるいはつまらないことをねたんでいるとか。
誰でも愛され、評価されたいから、他人が抱く怨恨(えんこん)には気がつきにくく、
こっちをきらっているサインなどは見たがらない。
しかしサインはどこにでも転がっている。
敵意のサインのひとつは、けっしてほめないことである。
友達が競争に勝って賞をもらえば、私たちは大はしゃぎをして抱きしめる。
友達が有能な人ならみんなの前でもちあげる。
よく知っていてしばしば会ったり、友達のつもりでいる人でも、そうしたことをただの一度もしないと
すれば、怨恨を隠しもっている証拠である。
ヴェルディはプッチーニのオペラを見にスカラ座へ行き、楽譜を手に筋を追っていた。
しかし彼の口から賛辞がもれることは一度もなかった。
それは彼が、ライバルであるプッチーニを認めたくなかったからである。
辛辣(しんらつ)で皮肉っぽい言葉を連発するのも敵意のサインである。
挨拶するのを忘れるだけのこともある。
恨みをもつ人は、出会うとぐちを言ったり文句をつけたりしたがる。
「これをまだしてないね。あれもまだだめじゃないか」というふうに。
こっちが弁解しても、要求を受け入れても、仕事を肩代わりしても、いくらなだめてもおさまらない。
悪いニュースを知らせたり、耳に入った底意地の悪い中傷をつぶさに教えることによって、
敵意をあらわす人もいる。
『借りのある人、貸しのある人』草思社
敵とはいえないまでも、あまり好きでない人のことは、決してほめない。
肉親などのように近しい関係ではお互いに甘えがあり、ほめなくても認めているという複雑な心理は
あるが、一般には、何らかのわだかまりや反感を感じているからこそ、心の底からほめることができない。
人の成功を我がことのように心から喜び、ほめる人には敵が少ない。
人の成功を妬(ねた)み、批判し、辛辣で、皮肉っぽいことを言う人には敵も多い。
敵をつくりたくなかったら、ほめることを多くして、批判や悪口は封印し忘れ去ることだ。
相手に敵意を感じたら、それはそっくりそのまま自分に返ってくる。
「ありがとう」と感謝を多くすることは、「ほめること」を多くする近道。 |
|
|