2011.9.8 |
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フランスの奇跡のカブ |
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山下朝史氏の心に響く言葉より…
パリから西方へ、ノルマンディ地方に続く高速道路A13に乗って35kmほど行き、
8番出口で降りるとシャペ村があります。
人口1200人ほどの、かたくなに発展を拒(こば)むような素朴な村です。
この小さな村の外れの広大な森と麦畑に包まれるように、ひっそりと山下農園があります。
この小さな畑で、ほんのわずかな量だけ作られる野菜が、
いつしかパリの超高級フランス料理店で使われるようになりました。
「山下農園」として43歳で野菜を作り始めてから15年になりますが、
それまではただの一度も野菜を作ったことのないまったくの素人でした。
営業のプロでも、フランス料理界に精通していたわけでもなく、潤沢な資金はおろか、
たまたまフランスに来た義理の兄から融通してもらった2万円で、
明日の生活をしのいだこともあるくらいでした。
農業の指南役の指導を仰ぐ機会も与えられず、女房以外の協力者も得ず、
何の成算や具体的な将来の展望もないまま、たった一人で畑に向き合い、
野菜と対話する農業という生活を選んだのです。
山下農園の畑が、野菜の耕作地として抜群の条件に恵まれた立地にあるのかと問われれば、
むしろ逆で、どの農業書でも耕作不適格地と分類されるような立地と土地で、
現在の私の農業知識で判断すれば、決して選びたくない土地です。
「日本独特の野菜か?」と思われるかもしれませんが、実は、
日本でもフランスでも昔から普通に栽培されているニンジン、ナス、キュウリなどの一般的な野菜ばかりです。
山下農園は、パリの8軒のフランス料理店と1軒の日本料理店と取引をしています
(フランス料理店は、三つ星が4軒、二つ星が1軒、一つ星が2軒、星なしが1軒です)
カブは山下農園のシンボル的な野菜だといわれています。
ジャーナリストからは「奇跡のカブ」、料理人からは「幻のカブ」と呼ばれています。
カブという野菜は、フランス料理でも日本料理でも地味な存在で、これといった際立った個性はなく、
したがって主役になれたためしのない野菜です。
フランス人のシェフが
「山下さんの作る野菜は、フランス料理の常識を破りました。
フランス料理では、通常、まずレシピを決め、それに合った食材を探しに行くのだけれど、
山下さんの野菜の場合は、まず野菜があって、それに合ったレシピを考えるのです」
「ルドワイヤン」は、ナポレオンが、後のお后となるジョセフィーヌと初めて会った、
パリビリオン・ルドワイヤンにある老舗のフランス料理店です。
初めてのお宅にうかがうのだから手土産を、と数個のカブを持参しました。
フランスのカブは根際が赤紫色ですが、こちらは真っ白な立派なカブです。
まずは、生で食べてもらいたかったので、包丁を借りて皮を厚くむき、ざっくりくし形に切って差し出しました。
「カブを生で?」
といぶかりながらも、シェフのクリスチャン・ルスケールは言われるままに口に入れました。
とたんに目を見張り、
「値段はいくらでもよいから、来週から早速納品してほしい」
これが、三つ星レストランと取引するきっかけでした。
三つ星「レストラン ピエール・ガニエール」は、いわずと知れた“厨房のピカソ”と称される、
天才料理人ピエール・ガニエールのパリにある本店です。
シェフに会った際には、両手を広げて私を歓迎してくれました。
その日は、初物のトウモロコシが入っていました。
それを私はシェフに「生で食べてみてください」と言って手渡しました。
興味津々でかぶりつくなり、目つきが変わり、矢継ぎ早に料理法の指示が始まりました。
それは、三つ星レストランの新しいレシピ誕生の瞬間でした。
『パリで生まれた世界一おいしい日本野菜』主婦と生活社
パリで、徒手空拳、一から農業を始め、成功した山下氏が素晴らしいことは言うまでもないが、
その野菜の価値を認め、何の実績もない異邦人と取引を開始したシェフたちも本物だ。
日本でも一流シェフたちの地位はそれなりに高いが、
フランスの偉大なグランシェフは一種の芸術家のようでもあり、日本とは比べようのないほど、
特別な尊敬を受けているという。
料理のインスピレーションが閃(ひらめ)くシェフは、四六時中(しろくじちゅう)、
寝ても覚めても料理のことを考えている。
だからこそ、珍しい食材を見たときに、最高のレシピが降りてくる。
レストランで供されるような料理には特許がない。
だから、3つ星を維持するには、常に新しい料理を開発し続けるしかない。
どんなときも、本物を見抜ける目をもった人は最高だ。 |
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