2011.9.4 |
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教育は治療と似ている |
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曽野綾子氏の心に響く言葉より…
自分をとり巻く周囲の状況が、悪かったからこそこれまでになったのだ、という人は世間にかなり多い。
これは嫌味ではない。
実感である。
多くの人は、自分に与えられていた幸福にも感謝するが、同時に不幸にも感謝できるのである。
教育は治療と似ている。
医者は薬を与え、手術をして、患者を「癒(いや)す」という。
しかし、医者の中でも謙虚な人々は「病人が自らを癒す力に、手を貸しただけだ」という。
その証拠に、どんなに人間の力を注いでも、人間の一生に一回だけは癒(なお)らないのである。
教育もそうである。
教育とは或る人間が(多くの場合、年齢の上のものが)
他の人に(年若いものに)与えるもののように考えられている。
これは一面その通りなのだが、半面そうでもない。
人間は自らを教育するだけである。
他人は(親や教師といえども)それに少し力を貸すだけという言い方もできる。
『魂を養う教育 悪から学ぶ教育』“絶望からの出発”PHP研究所
多くの心理学では、「相手の行動を変えることはできない」、
「変えることができるのは自分の行動だけ」、と言われる。
脅そうが、暴力を使おうが、怒鳴ろうが、説教しようが、相手が自分の行動を変える
意思がないときは、表面では変わったように見えても、本当の気持ちは全く変わらない。
どんな名医であろうと、自ら治ろうとしない患者を治すことは難しい。
同様に、世に有名な名教師であっても、本人に学ぶ意思が全くなければ、言葉一つも教えることはできない。
名医とは、治すのが上手な人のことだが、
治ろうとする意欲を高めることの上手な人、と言い換えることもできる。
希望を与え、元気づけることができる人だ。
名教師は、生徒に学ぶ意欲をかき立て、燃え上がらせるのが上手な人。
行徳哲男師の吉田松陰を評する言葉に…
「ボルテージとは波動である。
波動を出す人物は元気を生み出す。
その代表的人物が吉田松陰である。
松陰の一挙一動は波動となって伝わり、若者たちを奮起させ、煽起(せんき)させ、
幕末を揺り動かすエネルギーを生み出した。
松陰は時に涙を含み、声震わして弁じ、甚だしきは熱涙点々と書をしたため、
また、時に目が裂けるほど大きく見開き、髪の毛が逆立つほどの怒りを示したという。
その一方で、和んだときには花に蝶にと戯れたともいう」
吉田松陰ほど、短期間に多くの若者を感化し、感奮興起させた人物は古今、他にいない。
不幸の底にあっても、ないものを嘆くのではなく、あるものに感謝できる人は幸せだ。
言葉一つで、人は冷やされもし、温かくもなる。
人に、希望や元気の種をまき、感奮興起させる人でありたい。 |
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