2011.8.17 |
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命の火花を散らす |
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新渡戸稲造博士の心に響く言葉より…
アメリカの大統領ルーズベルトはかつて、山の中で牛馬を相手にして生活している者の中にも、
見識といい品性といい、かつ精力といい、優に当代の偉人をしのぐぐらいの人物はたくさんいると語ったという。
私はこの言葉を真実であると信じる。
桧舞台に立って立派に活動している人も偉いが、いわば楽屋の隅にいて、世の喝采も受けず、
静かにその仕事をやり続ける人もやはり偉い。
世にほめられるかどうかというのは、人の偉さを決する基準ではない。
真に偉い人は、自分の地位に応じて相当の仕事をし、悠々として余力を保っているものである。
小さい仕事であれば小さいなりに仕事をするが、誰が見ても、
そんな仕事をさせるには人物が大きすぎると言われるくらいの人が偉いのである。
昔、孔子が牧畜の役人になったら家畜が殖(ふ)え、小さな村の長につくとその村が平和に治まった。
また、豊臣秀吉は草履(ぞうり)取りの卑しい職にあったが、決して主人に冷たい草履をはかせたこと
がないし、按摩(あんま)をやらせたら、本職より巧妙であった。
二人とも小さな仕事をやらせても完全にそれを成し遂げ、たとえ余力はあっても、
自分にはものたりない仕事だなどと不平を唱えたりはしなかった。
自分の現在の義務を完全に尽くすものがいちばん偉いと思う。
自分の職業や周囲の要求する義務を、それがいかに小さくとも、いかにつまらなくとも、完全に
成し遂げ、この人がいなくてはできない、この人がいなくては困る、と言われるほどにならなければ、
自分の天職を全うしたものとは言えない。
『自分をもっと深く掘れ!』三笠書房
鉄鋼王アンドリュー・カーネギーにこういう逸話がある。
長年苦労を共にしてきた年老いたハンマー打ちを部屋に呼んだカーネギーが
「今日はどうかわたしの心尽くしの贈り物を受け取ってくれ」と言って一枚の紙を手渡した。
それは役員への辞令であった。
ところが、彼は辞令を受取らなかった。
彼は
「社長、よく聞いてくれよ。
わしは確かにしがないハンマー打ちだ。
でもな、わしがハンマーで鉄を叩くときのカーンという響き、あれはわしの命の響きなのさ。
飛び散る火花は自分の命の火花が散っているんだ。
そうやって出来上がった鉄の塊の中には、わしの命が入っている。
そう思って、わしはこの年までハンマーを振り続けてきた。
役員になりゃあ、座りごこちのいい椅子が用意されるだろう。
でもな、命の響きと命の火花を散らして命の塊をつくっていたわしのハンマーはどこへ行くのか?
社長にはそれがわかってもらえると思ったが、わかってもらえなかったのがいかにも無念だ」と。
カーネギーは
「わしの浅はかさを許してくれ」と言って辞令を破り、代わりに小切手帳を取り出すと、
そこにアメリカ大統領の年収と同じ金額を書き込んだ。
「わしはあんたをアメリカの職工の世界で最高の人物だと思う。
だから、あんたは大統領と同じだけの報酬を受取ったっておかしくないはずだ」
そういって彼の手に小切手を握らせた。
老ハンマー打ちは思わずカーネギーの懐に飛び込み二人して泣き崩れた。
『感奮語録』(行徳哲男)致知出版社
今の自分の仕事に誇りを持ち、そこで命を燃やす人は最高の人生を送っている人だ。
今の仕事以外にもっと自分に合っている仕事がどこかにあるかもしれないとか、
こんなさもない仕事をするために生まれてきたのではない、
と不平を鳴らし、不満を言い立てる人はあまりに寂しい人だ。
先輩や上司や周囲に認められ、引き上げられるからこそ、次の上のステップに進むことができる。
本当の自分はもっと違うのだと、アピールしても駄目なのだ。
何事も、今が実力で、今が真実。
「今よりほかはなかりけり」だ。
「命の火花を散らす」こと…
今、目の前の仕事に、一所懸命、一心不乱に、ただひたすら打ち込みたい。 |
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