2011.7.24 |
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小悪魔的で可愛い |
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筒井康隆氏の心に響く言葉より…
相手が傷つくようなことを、特に男性に対して平気で言う女性がよくいて、
これは若くて美しいうちであれば「小悪魔的で可愛い」などと言われもするが、
歳をとってもまだ若いときにもてはやされた記憶が残っていて、
その記憶に「これを言えば昔のように『小悪魔的で可愛い』と言われる筈」というバイアスがかかり、
同じような嫌味をいい続けていると、やはりアホということになる。
これは昔、自分のことを小悪魔的で可愛いと言ってくれた男たちへの甘えであり、
それが男全体への甘えに拡大されたものと見ることもできるだろう。
甘えの構造にはいらいろな類型あるが、わざといやなことを言うというのもあきらかにそのひとつである。
これは当然、相手が親しい人である場合が多い。
この根底にあるのはナルシシズムで、自分がどれほど愛されているかを確認しなければ気がすまない時など、直截(ちょくせつ)に「愛してくれますか」とは訊けないため、悪口を小出しにし、
どこまで悪口を言えば相手が怒り出すかを試すことによって、愛されている度合いを測ろうとするものだ。
嫌味を小出しに言い募りながら相手の顔色を窺い、ここまで言えば怒るのではないか、
これならどうだと徐々にエスカレートさせていく、そんな人物もしばしば見かけるところである。
自分は愛されているというナルシシズムがあるから、相手は怒るまいと思っているし、
怒っても本気ではあるまいと思っているし、自分への愛は変わるまいと思っている。
それでも結局、最後には相手を怒らせてしまう。
その場合には冗談めかして「あはははは。やっぱり怒った怒った」と言って喜んで見せたりする。
それが相手の怒りを宥(なだ)めるに足る可愛らしい行為と思っているのである。
「そんなことでくらいで怒るなよ」と心外そうにすることもある。
拗(す)ねて見せているわけである。
「これくらいのことで怒るのか」と、逆に怒るやつもいる。
どちらにしろ、相手を怒らせて何も得することはなく、
むしろ損をすることは明らかなのだから、アホという他ない。
絶交されたり逃げられたりするのだから。
『アホの壁』新潮新書
この相手を怒らせるタイプの人間は、何も男女間のことだけではない。
男性同士や、女性同士の関係でもよくあるパターンだ。
公式の場であろうが、プライベートだろうが、常に毒舌や嫌味を言いまくり、
それで場が盛り上がっていると勘違いしている輩(やから)だ。
若い頃、何かのときに、その毒舌がウケた記憶が残っていて、
歳をとってもそのスタイルをとり続けているということだ。
まわりは大人だから普通は怒らないが、あまりにそれも度がすぎると爆発する。
人は歳とともに成熟しなければならない。
若い頃とは、違っていて当然だ。
相手を傷つけることを言う人は、必ずそのしっぺ返しがあることを覚悟しなければならない。
まわりが優しくて、誰も怒らない状況が続けば続くほど、誰かが爆発したときの代償は大きい。
悪態をつき、怒らせる人は、甘えている証拠。
歳を重ねるごとに、成熟した大人となり、人を喜ばせることを多くしたい。 |
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