2011.7.8 |
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憂鬱でなければ仕事じゃない |
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幻冬舎社長、見城徹氏の心に響く言葉より…
「憂鬱を好む人間などいない。
しかし一方で、憂鬱は大きな反発力を生む。
それに気づいた時、憂鬱は間違いなく仕事の糧(かて)となる」
僕は、朝起きると、必ず手帳を開く。
自分が今、抱えている仕事を確認するためだ。
そして、憂鬱なことが三つ以上ないと、かえって不安になる。
ふつうの人は、憂鬱なこと、つまり辛いことを避ける。
だからこそ、あえてそちらへ向かえば、結果はついてくるのだ。
楽な仕事など、大した成果は得られない。
憂鬱こそが、黄金を生む。
マルクスは、人間を受苦的存在と規定した。
ドイツ語で受苦とはパッション、つまり、情熱を意味する。
苦難と情熱はワンセットなのだ。
人間は苦しいから、情熱を感じ、それを乗り越えてゆけるということである。
これは人生の局面でも言える。
大きな分岐点に立たされた時、人は、くよくよ考える。
僕は、この時間が何より嬉しい。
いや、嬉しいと思うしかない。
悩むことは、もとより憂鬱である。
そして、おのずと限界がある。
それを越えるためには、「暗闇の中でジャンプ」するしかない。
暗闇の中でジャンプするのは、とても怖いことだ。
自分が今立っているのは、切り立った崖の端かもしれない。
しかし、未知のステージや世界に飛び込むからこそ、前進がある。
人生とは暗闇の中のジャンプの連続なのだ。
「迷った時は、やめておく」という人がいるが、僕はそれとは正反対だ。
「迷った時は、前に出ろ」これが僕の信条だ。
迷った時こそ、大きなチャンスだ。
迷わないものは結果が小さい。
『憂鬱でなければ、仕事じゃない』〈見城徹・藤田晋〉著・(講談社)刊
憂鬱な日々ではなく、爽快な毎日を送りたいと思うのが人情だ。
だが、実際の人生には、憂鬱な問題やトラブルがあるのが現実だ。
大事なことは、憂鬱なことをプラスのパワーに変えることができるかだ。
できなければ、憂鬱は憂鬱のままで終わってしまう。
批判、悪口、反対、バッシング、と言った憂鬱なことが起きたとき、
「さあ、来たぞ」とニッコリ笑って受け止めることができるかどうか。
批判や、反対は、生きている証(あかし)。
相手にされている証拠だ。
相手にされなければ、無視されるだけだからだ。
「楽しい」と、「憂鬱」は相反すること。
人は誰しも、相反することを常に抱えながら生きている。
その相反する気持を背負いながらも、淡々と、しかも平然と、日々を送ることができる人は、
人生を極めた達人だ。
その人に解決できない問題はやってこないという。
だからこそ、大きな憂鬱であればあるほど、それは大きくジャンプできるチャンスとなる。
憂鬱は、飛躍する前のシグナル。
憂鬱の時こそ、大きくジャンプしたい。 |
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