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2011.7.7

目に見えないものへの畏敬の念

村上和雄教授の心に響く言葉より…

「エコでクリーンなエネルギー」として国が推進してきた原子力発電は、
震災による全電源喪失という事態にコントロールを失いました。

いつの間にか原発が生み出す電力に依存して、深夜ですら煌々(こうこう)として光に照らされ、
次々と増える新しい家電に囲まれて暮らしてきた私たちの暮らしは、
突如として訪れた電力不足という事態に右往左往しました。
首都圏では、夏の電力不足を憂える声が大きくなりました。

けれど、そもそも、なぜ、そんなに夏が暑くなってしまったのでしょうか。
首都圏の場合、深刻なのはヒートアイランド現象でしょう。
緑地が減り、アスファルトで道路を舗装し、巨大なビルが風の流れを変えてしまったことで、
社会活動で排出される熱がどんどんプールされ、尋常ではない暑さをつくりだしてしまいました。

暑ければエアコンをつけますから、室外機の熱で外気温はますます高くなり、
人はさらに冷房の設定温度を下げる。
そんな悪循環に陥っていました。

しかし、そんな猛暑のさなかでも、緑が豊かで土の多い場所に行くと、
ひんやりとした涼しい風が吹いていました。
小高い木々の葉が日差しを遮り、湿った土が空気を冷し、快適な空間をつくっていました。

私たちは、地球という両親の愛情に甘えて好き勝手に生きてきた子どものようなもの。
誤解をおそれずに言えば、今回のことは地球という両親から、
今の行き過ぎた人間のありかたを本気で叱られたということです。

目に見える太陽や水、動植物、エネルギー資源だけでなく、空気やいろいろな生態系のバランスなど、
さまざまな「目に見えないもの」のおかげで生かされているのがわれわれ人間なのです。
しかし、これまでの世の中で、そうした「思い」を持つ人が、
目に見えないものへの畏敬の念を感じて生きている人が、どれだけいたでしょうか。

自然というものは、ときに人間の想像をはるかに上回る振る舞いをします。
昔の人はそのことをよく知っていました。

だからこそ、そうした自然の振る舞いを抑えるのではなく、
受け入れながらお互いにバランスをとって生きようと感謝や祈りを捧げました。

なぜなら、自然と自分たち人間は別個の存在ではなく、一個の大きな命のようなものと考えていたからです。
別個のものなら、祈っても思いは伝わらないかもしれない。
けれど、同じひとつの命を分かちあっているのだとしたら、思いや祈りが伝わらないはずがない。

本来は、私たち人間は森羅万象あらゆるものとつながりながら生きているのです。
そういったことに「思いを馳せる」ことが、すなわち「祈り」であると私は思います。

『奇跡を呼ぶ100万回の祈り』ソフトバンククリエイティブ


車や電車や交通機関が発達すればするほど、人は歩かなくなる。
江戸時代の旅人は、東海道をおよそ2週間で歩き通したが、それは一日に約30キロは歩いたということだ。

車に乗れば乗るほど、運動不足となり、お金を払ってジムに行く人も出る。
同様に、昔は食べるものがなく粗食だったため、一般人は過食による肥満など、まずありえなかった。
かくして、現代人はお金を払ってダイエットに励む。

物質文明の進歩は豊かさと引き換えに、多くの弊害ももたらした。
目に見える物だけを尊重し、目に見えないことをないがしろにしてきたツケでもある。

今、目の前にふんだんにある物を節約したり、コントロールすることはとても難しい。
やがて、あることが当たり前となり、感謝したり、ありがたさを感じることもなくなる。

目に見えないものへの畏敬の念がなくなったとき、人には傲慢さが芽生える。

運の法則から言うと、その人に行きすぎや問題があったとき、
それを分からせるための反対の出来事がおこる。
それでも、なおそれらの警告を無視して傲慢なことを続けるなら、
分かるまでさらに大きなパワーがやってくる。

太陽や、空気や水といった、自然の恵みに感謝し、今一度、自分の生き方を振り返ってみたい。



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