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2011.6.26

日本人は個性的

会田雄次氏の心に響く言葉より…

「百聞は一見に如かず」という。
「可愛い子には旅をさせろ」ともいう。

だが、イギリスにはこういう諺がある。
「旅は人の心を狭くする」

旅の見聞や経験はその土地やそこに住む人間のいうに足りぬ一断面に過ぎない。
だが人は自分の見聞を絶対視するものだ。
旅人や短期滞在者はその一断面からすべてを判断することになりやすい。
その危険を、この諺はいっているのである。

たとえば、日本人は個性に乏しいというのは、いまや定説になっている感がある。
そこでいわれる個性とはどういうものかといえば、「コーヒーと紅茶とどちらがいいか」と聞かれて、
日本人は「どちらでもいい」と答えるとか、
会社員がみな同じようなドブネズミ色の背広を着ているといった類である。

だが、歴史に取り組むと、
日本人はヨーロッパ人などより根本的なところではるかに個性的だということが見えてくる。

ヨーロッパ人はキリスト教の規範にがんじがらめになっている。
考え方も生活の様式も態度もその規範の範囲を出ることはない。
アメリカでさえそのドル紙幣に「我神―イエス・キリスト―を信ず」と印刷し、
誰からもクレームがつかぬ国なのだ。

たとえ反逆するにしても、規範に心を縛られての反逆である。
根本的な世界観・人生観に差がないから、
せめて衣服だとかコーヒー紅茶とかいった末端で差をつけて個性人ぶっていると反論もできるのである。

その点、日本人は精神的にはるかに自由奔放で個性的である。
日本には八百万の神々がいて、さらにキリスト教も仏教も儒教も、あらゆるものを受け入れる。
また、それらが示す規範など無視しても平然としている無神論者もキリスト者も仏教徒も神道派もいる。
国民全体として融通無碍な精神の上にそれぞれの価値感を構築して生活し、
価値感の異なる同士がバッティングすることもない。
この本質的に考え方の異なる人間の共存が日本人の社会なのである。

人々は根本的に個性的なのだ。
だから、コーヒーか紅茶かの選択によって測られる個性などは、日本人にとってはどうでもいいことなのだ。
社内統一もそういう個性の調和なのであり、同一者が一束になっているのでは決してない。
それはみかけだけである。

『しなやかな歴史の知恵』致知選書


拓殖大学国際学部教授の呉善花氏は、こう語る。

『日本人は「物事をはっきり言わない」「自主性がない」などと非難されることが多い。
が、むしろ曖昧だからこそ、日本は世界有数の安全で豊かな国になれたのだ。
これからは世界全体に、調和がとれた人間関係、環境への順応性を生み出す
「曖昧力」が求められる時代になるだろう』
《日本の曖昧力》 (PHP新書)


日本人が曖昧なのは、多様な価値感を認める心を持っているから。
様々な価値感があるからこそ、人との付き合いに角(かど)を立てないよう、
相手の気持ちを「察する」という文化がある。

西洋の論理だと、右か左か、善か悪か、という議論になりやすい。
しかし、日本では、右も左も、善も悪も、裏も表もという対立を超えた概念がある。
「どっちもいいじゃないか」という世界だ。

日本では、大きな価値感の相違があっても、お互いの違いを認め、なんとか丸く収めようとする。
ましてや、枝葉末節の些事に目くじらを立てるなど、成熟していない子どもがすることだ。

世界の中でも、八百万の神を認める日本人くらい、個性的な民族はいない。
だからこそ、「日本人はもっと個性的でなければならない」、
などという昨今のマスコミや外国人の意見に惑わされてはいけない。

我々はもっと自国に自信を持ち、充分個性的なのだと自覚したい。



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