2011.6.24 |
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やむにやまれず |
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斎藤孝氏の心に響く言葉より…
「己(や)むを得(え)ざるに薄(せま)りて、而(しか)る後に諸(これ)を外に発する者は花なり」《言志四録》
準備万端ととのって、やむにやまれなくなって、蕾(つぼみ)を破って外に咲き出すのが花である。
能を大成した世阿弥の言葉に「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」というものがありますが、
そこでいう「花」とは、その人が持っているよいもののことです。
佐藤一斎のいう「花」も意味しているものは同じです。
それも、やむを得なくなって外に発したものこそがその「花」だと言うのですから、
「見て見て」とこれみよがしに見せるのは「花」ではないということになります。
日本人は花が好きで、よいものの比喩によく花を用いますが、
実際の花も誰かに褒められたくて咲いているわけではありません。
時期がきたときに自然と咲くのです。
そんな花と同じように、人も無理に自分のよい部分を見せようとするのではなく、
やむを得なくなったときに、つまり自然の時期がきたときに、内側から満ちるようにして外に溢れ出るのが、
その人の持つ本当の美しさであるということです。
無理に自分の実力を人にみせつけようとすると、どうしてもわざとらしくなります。
人に見せようとするのは、人の評価を気にしているからです。
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『かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大和魂』
と、歌ったのは、幕末の英傑、吉田松陰だ。
「こうすれば、こうなるものと知りながら、やむにやまれぬ気持ちで行動を起こした。これこそが、大和魂である」
米国へ密航しようと企て、それが露見して獄舎につながれたときに詠んだ歌だ。
嘘偽りのない心の叫びは、切羽詰ったときに現われる。
どんなに行動力がない人でも、追い詰められ、ぎりぎりの瀬戸際に立たされたときには、
真実の声を発し、行動を起こす。
格好をつけてなどいられないからだ。
人は、ある種の極限状態に追い込まれると、「火事場の馬鹿力」という、
普段なら考えられない、とんでもない力を発揮することがある。
それが、その人の奥底に眠っていた真実の「花」。
感じて発憤し、奮い立つ。
ここぞというときには、人の評価など気にせず、感奮興起したい。 |
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