2011.6.20 |
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TOKYOオリンピック物語 |
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野地秩嘉(のじつねよし)氏の心に響く言葉より…
あの頃と違い、今の人たちは何かを待っている。
いわく、
「景気がよくなるのを待って、このプロジェクトにとりかかろう」とか、
「この仕事がうまくいったら、次を仕掛けよう」…などと。
また、「世論調査の数字がもう少しアップしたらこの政策を進めよう」という政治家も多い。
「もう少しお金をためてから、起業する」人もいるだろうし、
「先方の機嫌がよくなってからプランを提案しよう」というビジネスマンもいる。
みんな、何かが起こるのを期待して待っている。
自分から動いて、状況を変えようとしない。
しかし、待っていても、何も起こることはない。
待ちの姿勢が日本社会の元気を奪ったのだ。
私はそう考える。
20年来、日本は停滞し、漂流している。
復活するための方策が官民を問わず、いくつも提案されているけれど、なかなか効果が表れていない。
思うに、個々の具体策は別として、景気を上向きにするのに必要なのは、
結局のところ、みんなが待ちの姿勢をやめることではないか。
「よし、やってやろう」というチャレンジングな気持を持っている人が増えない限り、
社会に活力は沸いてこない。
活力のある人たちには共通点がある。
彼らは挑戦が好きだ。
他人にうながされてではなく、自ら変化を求め、新しい目標に向かって、がむしゃらに突き進む。
いわば物好きな人たちで、企業の創業者にはそういうタイプが多い。
また、活力がある人たちには好奇心がある。
新しいものが好きで、いわば物好きな人たちで、新しいところへ出かけていく。
社会が変化するには、元気で物好きな人と新しい何かが必要なのだ。
過去の業績によりかかって企画を考えたり、他人の提案をくさしたり、
成功者をうらやむことでなく、自ら変わることの大切さ。
そんな自己変革の成功例として私が見つけ出したのが1964年の東京オリンピックであった。
東京オリンピックは日本の社会システムを変化させ、その結果、経済成長を加速させたイベントだった。
人は夢があれば下を向くことはない。
今、私たちが模範にするべきは新しい何かを求めて大きく変わること、
そして、当時の人々が持っていた、変化を恐れない腹のくくり方を学ぶことだ。
『TOKYOオリンピック物語』小学館
全国民が奮い立つような、大きな国家的イベントが少なくなってしまった。
ワールドカップの視聴率が驚異的だったとはいえ、当時の東京オリンピックの盛り上がり方は別格だった。
東京オリンピックでは、多くの分野で大いなる挑戦と創造が行われ、
それをきっかけとして様々な会社や業界が飛躍した。
それは例えば…
名作中の名作といわれるオリンピックポスターを製作した、グラフィックデザインの世界。
コンピューターを駆使して大規模イベント・オリンピックを成功させた、コンピュータの世界。
毎日一万人の腹を満たすという、選手村での大量調理やセントラルキッチン方式を確立した、
ホテル・レストランの世界。
オリンピックでの警備をきっかけに始まった、民間警備の世界。
映画「東京オリンピック」の誕生から始まる、新たな映像の世界。
かつての我々の先輩達は、未だ誰も踏み込んだことのない、
新たなプロジェクトに、多くの人たちが無給に近い状態で飛び込んだ。
この仕事に関わることができることに名誉を感じ、国家のためという使命感に燃えて。
人々の気持が萎縮しているときは、前向きな挑戦や創造は生まれない。
しかし、人は何か少しでも夢を持つことができれば、下を向くことはない。
震災、津波、原発と、様々な難問が押し寄せる今、
我々は、いつまでも下を向いて、何かが起こるのを期待して待っていてはいけない。
「東京オリンピック」は、日本を大きく変えた。
今こそ、あの頃の熱い気持を取り戻し、日本の復興と進歩のために立ち上がるときだ。
遠くかなたの夢をつかむため、待つのではなく、前を向いて挑戦し続けたい。 |
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