2011.5.31 |
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なぜ泣いているんですか? |
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世界一のギター工場、フジゲンの横内祐一郎会長の心に響く言葉より…
創業からまもなくの頃、専務の私は三村社長によばれた。
「シャネルの香水、グッチのカバンが今、世界中で爆発的に売れている。
ニューヨークが火付け役だ。
うちのギターも、世界中に売れたら面白いね」
そんな三村社長の夢を夢物語のように聞いていた。
「そうなったら面白いですね」
私は気楽にうなずいていた。
「横内さん、ニューヨークへ行って、うちで作ったギターを売ってきてくれないか?」
真顔で言う社長に、夢中で手を振って、
「英語ができないから、とてもムリです」
三村社長は乗りだしてきて私に言った。
「人間は、何のために生きている。
…ああしたいこうしたいという自分の思いを実現するために俺達は生きている。
夢やロマンを描けるのは人間しかいない。
それを目指し行動しない限り目標は手に入らない。
横内さんならそれができる」
三村社長の熱(あつ)ぽく語るロマンにぐんぐん引きこまれていった。
「そんなら行かしてもらいます」。
私たちは、とてつもない夢を描いてしまったのである。
1964年、単身アメリカに渡ることになった私を百人もが松本駅に見送りにきてくれた。
別れ際に「ギターが売れるまで帰ってこなくていいからね」と三村社長は私に小声で言った。
ニューヨークに着き、アパートを根城に、アポイントの電話をかける。
これは簡単なようだが、そんなものではない。
相手が喋(しゃ)べりだすと、もうどうしようもない。
情けないことに、来いといったのか、いけないといったのか、さっぱり分からない。
何度挑戦したことか、さっぱり駄目で、すっかり落ち込んでしまった。
三ヶ月もすぎた頃、セントラルパークのベンチで泣いていた。
今日も駄目だった、何軒もギターのサンプルを両手に下げて歩いた末の結果だった。
その時であった。
地平線の向こうに母の姿が見えたのは…。
「母ちゃーん助けておくれや!」
こらえていたものが一挙に爆発した。
押さえようとすうればするほど、泣き声は大きくなってしまう。
「ホワーイ、ユークライング」(なぜ泣いているんですか)
白髪の紳士の声がした。
包みこむような優しいアメリカ人の顔を見た瞬間、肚(はら)の中から熱いものがグーンとこみ上げてきた。
気がついたら、その大きな体の紳士の胸にすがりついていた。
こうして知り合ったアメリカ人の家に連れていかれ、
二週間、目の覚めるような素晴らしい英語の特訓を奥様から受けた。
おや!どうしてこんな英語が今まで分からなかっただろう。
悟りがひらけたような、不思議な気分になった。
まるで別人になったような気がした。
「俺は英語ができるようになったゾ!」
これがきっかけで、ニューヨークで初めて注文がとれた。
人生って、こんなに素敵なものだったのか!
ボストン、ワシントン、シカゴ、セントルイス、ヒューストン、ダラス、マイアミ、ニューオリンズを
三週間かけて売り歩き20万ドルの注文を取る事ができた。
投げ出さないで本当によかった。
乗り越えた喜びを体いっぱいに感じた。
目の前がパーッと明るくなったような気がした。
見ず知らずの私に声をかけ英語を教えてくれたハリーさん夫妻。
「がんばれよ!」と背中を叩いて励ましてくれたセントルイスの社長さん。
感謝の気持が湧き上がってきて、思わず涙がにじむ。
私の成功を祈ってくれていた母、妻と三人の子ども達、
厳しいけれどもいつも愛の鞭(むち)をあてていてくれた三村社長、
これらの人たちが私のうしろで、私の夢を支えてくれていた。
この喜びを教えてくれた、ありがたい、喜びと感謝はワンセットだったのか、
改めて、人生のメカニズムの素晴らしさに目が開かれる思いであった。
『人間と夢』(株)タニサケの小冊子より
いくら壮大な夢を見たとしても、その夢に向って行動しなければそれは永久に実現することはない。
我々は、そんな簡単な原理すら忘れてしまい、ただ漠然と夢をみていることが多い。
どんな不可能と思えることでも、まず一歩を踏み出すこと。
動いて、もがいて、何度も失敗を繰り返すうちに、ふっと壁を超えられることがある。
本気になったからだ。
人が本気になったときには、誰かが助けてくれる。
しかし、最初から助けを求める人は、本気が足りない「甘い人」だ。
失敗しても失敗しても、投げ出さず、挑戦し続ける人に勝利の女神は微笑む。 |
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