2011.5.27 |
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西郷隆盛と門番 |
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池波正太郎氏の心に響く言葉より…
こんなエピソードがある。
明治4年ごろのことだろうが、あるとき西郷は宮内省へ用事があって出かけた。
夕暮れで、ひどく雨がふっている。
宮内省の門へ来て気がつくと、西郷は門鑑(もんかん)を忘れていたのだ。
「まことにすまぬが、急用なので通していただきたい」
門番にたのむと、
「門鑑がなければ通せませぬ」
若い男だが、きっぱりとはねつける。
粗末な縞(しま)の着物に袴をつけ、大小を横たえている大男が、まさか西郷隆盛だとは思わない。
「いかぬかな?」
「規則です」
「フム。そりゃたしかにそうじゃ」
こうなると、自分の名前で門を通るということができなくなるのが西郷である。
しばらく、茫然(ぼうぜん)として雨にぬれたまま立ちつくしているところへ、岩倉具視が馬車でやって来て、
「何をしておられる?」
「いや、門鑑を忘れたので…」
そこで、岩倉が、
「けしからん、このお方は西郷陸軍大将じゃ」
門番を叱りつけた。
門番はびっくりしたが、それでも屈しない。
西郷だろうとなんだろうと、自分は門番としての責任を果たすまでだ、というわけである。
岩倉右大臣はカンカンになったが、
「そりゃ、あんたが悪い」
西郷は岩倉をなだめ、国家の急用なのだから特別に見のがしてもらいたい、と門番に敬礼したそうだ。
「国家のためとあれば、仕方ないでしょう」
門番もようやくゆるしてくれたという。
この門番の青年、出身地も名も知れてはいないが、後に西郷が可愛がって、
学問をさせ、立派な官吏になったらしい。
『一升枡の度量』幻戯書房
勝海舟は、西郷を、「大胆識と大誠意の人」と評した。
まさに、度量と徳望をあわせもつ、当時第一等の人物であった。
安岡正篤師は理想の君子について、こう語る。
欲して貪(むさぼ)らず、
泰(ゆた)かで驕(おご)らず、
威あって猛(たけ)からず。
『論語・堯日(ぎょうえつ)』安岡正篤一日一言(致知出版)より
ガツガツせず、貪欲ではなく、淡々としている。
泰然(たいぜん)として、おごり高ぶらない。
威厳はあるが、上から偉そうにものを言わない、度量の広い人。
まさに、西郷翁その人だ。
相手が目下であろうが、部下であろうが、決して偉そうな口をきかない。
えてして、英才、俊才は、自分の意に沿わないことがあると、瞬間的に反発する。
鋭(えい)の人だ。
大人物や英傑は、泰然として、大騒ぎせず、ひと呼吸おきゆったりと応対する。
鈍(どん)の人だ。
鋭の人には、どこか錐(きり)のような冷たさを感じる。
どんな事に出会っても、ゆったりと余裕を持つ、鈍の人でありたい。 |
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