2011.5.26 |
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他人の趣味や嗜好 |
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川北義則氏の心に響く言葉より…
他人の趣味や嗜好(しこう)に、口出しすることくらい野暮なことはない。
ゴルフ好きな人に「あんなもの、どこが面白いんだ?」と聞くのは失礼である。
私は原則として、他人がどんな趣味や嗜好の持ち主だろうと、余計な口出しをしない。
それは大げさにいえば、人格否定につながるものだからだ。
たとえば「あんな奥さんのどこがいいの」と真顔で聞いたら、相手から絶好宣言されるかもしれない。
恋人や奥さん選びだって、趣味や嗜好と無縁ではない。
さすがに、人に関しては口を挟むのをみんな控えるが、それ以外の趣味、嗜好となると、
なぜか人は平気で「ああだ、こうだ」という。
これはやめたほうがいい。
もし口を出すなら肯定、同調する場合に限る。
腹の中で色々思うのはかまわない。
人には洞察力や批判力が備わっているから、「私の趣味は何々で…」と聞かされれば、
「なるほど、そういう人間か」とか「くだらない趣味だなあ」などと思うのは避けられない。
だが、わざわざ口に出すことではない。
趣味や嗜好は人間性を表すから、あれこれ批評するのは怖いことでもある。
そのことを見事に語ったのが文芸評論家の小林秀雄氏の次の言葉だ。
「批評とは畢竟(ひっきょう)、他人をダシにして己を語ることである」
まったくその通りで、人のことをあれこれいっているつもりが、いつの間にか自分を語ってしまうのだ。
『男の生き方』PHP研究所
人は、他人の話を聞いている時、自分のことを話したくてウズウズしている。
相手が話しているのを途中でさえぎって、自分の話を始めてしまったりする。
特に、自分の興味がある分野では黙っていられない。
人の話を聞くことは、他人の価値感を知ること。
趣味や、宗教感、政治信条、付き合う人、尊敬する人も、結局は好き嫌いという価値感で決まる。
しかし、価値感は、自分の状況や場所、相手のタイプによってコロコロ変わる不確かなものだ。
例えば、広い公園で子どもが騒いでいても何も気にならないが、
講演会で子どもが騒いだら、気になってしかたがない。
つまり、「騒ぐのはダメ」、という価値感も、場所や環境や時間の経過によって変わってしまう。
価値感は、自分の体調や機嫌によっても変化するし、好きか嫌かという相手のタイプによっても違ってくる。
つまり、万人が認める絶対に正しい価値感など、この世にはありはしない、ということ。
人の好みは様々で、時により変わるあやふやなもの。
だからこそ、人の趣味や嗜好をあれこれ言うのは、野暮というもの。 |
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